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キラキラ資本主義ができない

 「家事代行を雇ったら最高だった!とっても楽でした!」という記事をときどき見かける。「お料理も掃除もしっかりしてくれて助かりました✨」「こういうサービスはお金持ちだけのものじゃない、もっと普及してほしい」。そんな声の数々。
 
 これだけ言われているとなんだか気になる。それで、産前なのをいいことに、自治体が補助金を出しているホームヘルパーさんをお願いしてみた。業者によっては「体調の悪い人じゃないと助けません」と言われるものの、中には来てくれるところもあった。
 
 試しに、水回りの掃除と一品料理、アイロンがけを頼んだ。作業に必要な道具は一通り出しておいて、当日来た人に「やってほしいことリスト」を渡す。ヘルパーさんは、母親よりも20歳ほど若い女性だった。自治体の規定時間通り、2時間作業されて帰っていった。
 
 細かい話は省く。愚痴にしかならないからだ。早い話、「これなら自分でやったほうがいいな」と思った。ワイシャツのアイロンがけは多少面倒だけど、それでも近所のクリーニング屋に出せば、ヘルパーさんを雇うよりだいぶ安くつく。ならもうそれでいい。
 
 家事代行をよく利用する人なら「担当者によって質は違う」とか「指示の出し方が悪かったんじゃないの?」と言うかもしれない。いろんな可能性が考えられるし、ひとさまに家事を任せておいて文句を言うな、というお叱りもあるだろう。
 
 そういうのも全部ひっくるめて「それくらいなら自分でやる」という感想に至った。こんなのは1回お願いしてみないとわからないことなので、単純にいい経験になったと思う。
 
 自治体では、産前は家事代行、産後はベビーシッターの利用に補助金を出してくれる。ただこの調子だと、ベビーシッターもどこまで助かるものなのかわからない。ひょっとしたらまた「これなら一人でも大丈夫だな」と思うのかもしれない。
 
 経済の報道でよく言われるGDP=国内総生産とは、「一定期間内に国内で産み出された物やサービスの付加価値の合計」を指す。これを上げていこうと思えば、女性は自宅で無償の家事育児をやるより、よその家でそれをやってお金をもらうほうがいい計算になる。
 
 もっと言えば、家で食事をつくるより外食するほうがGDPに貢献できる。お弁当を作って近所の公園にピクニックに行くより、テーマパークに入園料を払うほうが経済が回る。いい悪いの話ではなく、そういう仕組みになっている。
 
 だから、日本で家事代行とかベビーシッターが流行れば、それは自宅で無償労働をするよりずっと経済に貢献することになる。今はなんとなくそんな流れになっていってるわけで、政府がベビーシッター券を配布する時代になった。
 
 これが一個の流行だとしたら、たぶん乗らずに終わる。そんな予感がある。
 
 人によっては「お手伝いさんになんでもやってもらえる世界って最高」と思っていて、そういうライフスタイルの人に憧れていたりする。自分もぼんやり「それって楽そうでいいな」と思っていたけど、実際に頼んだらすっかり考えが変わってしまった。
 
 よっぽど家事をする時間がないとか体力がないとか、子どもに付きっ切りの生活で気が狂いそう……とかでない限り、使わなくてもいいかな。だってあのクオリティなら、自分や旦那さんがやるほうがずっといい。
 
 なんで世の中には「お手伝いさん(あるいはベビーシッター)お願いしたら最高でした」の話ばっかりあふれてるんだろう。みんな最初の担当者が神様みたいな人だったんだろうか。それとも自分の観測範囲、もしくは自分が変なのか。そうかもしれない。
 
 皆さんそうやって経済を回している。資本主義に愛されキラキラしている人たちを前に、自分はそうなれそうもないなと思う。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。