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【詩を紹介するマガジン】第20回、今村欣史

「晩飯」
 
散兵(さんぺい)言うて 前線では散らばらなあかん言うのは教えてもろて知ってたし 演習ではやってたけど 初めて出て ほんまの弾丸(たま)飛んでくる音聞いたら わしら新兵はもうみんな恐ろして恐ろして 一人でおられしまへん。雀の子がかたまるように 身い寄せおうてしまいましてなあ。後でえらい怒られましたがな。それで 肝試しや言うて 捕まえてある捕虜の処刑を命じられましてん。撃て!言いますねん。そやけど そんなこと出来ますかいな。そしたら上官が言いよりました。「殺(や)らなんだら晩飯抜きやぞ」て。


 今村欣史。職業、喫茶店の店主。詩が語り口調になっているのは、それが実際に人の口から発された話だから。経営していた喫茶店「輪」のカウンターに座ったお客が、次々に思い出話を語っていく。店主はそれを書き留める。
 
 詩集である『コーヒーカップの耳』からこの詩を抜き出したのは、これが「普通の人」の戦争だったことがうかがい知れるからだ。

 自分みたいに平成の人間にとって、先の戦争はどうしても「いまとは温度の違う出来事」として語られる。
 
 「天皇陛下は神さまだと信じられていました」とか(うちの祖父母は、誰もそんなこと信じていなかった。ほとんどの日本国民が同じだっただろう)、国のために死ぬのが美徳とされていました、とか(表面上はそうだろうな)。
 
 そんな話ばかり聞かされていたら「当時の人たちの感覚は、いまからずいぶんかけ離れているなあ」としか思えない。そうとしか思えないから、戦争はいつだって遠い時代の話で、自分たちが理解しなくてもいいものだと片付けてしまう。
 
 そうじゃない。怖いのは、「当時の人たち」が私たちとよく似ていることだ。誰だって戦地で死にたくなんかない。前線で散らばれと言われても、怖くてみんなでかたまってしまう。本物の弾丸は恐ろしいし、誰だって生きて家族の元に帰りたい。
 
 語り口調の詩からは、隣近所に住む気のいいおじさんのような、身近な雰囲気がかもし出される。でもそこで語られていることは、遠くに片付けたはずの戦争の姿であり、特に最後の一文が効いている。
 
 殺らなんだら、晩飯抜きやぞ。
 ひとの命は夕食一回分。
 
 わたしたちはよく「平等」という言葉を使うけど、平等を連呼しなくてはならないのは、世間が不平等であることの裏返しだ。ある国の国民の命は安く、集団でなくなっても誰も気に留めない。またある国の民の命は高く、ひとり亡くなっても大騒ぎになる。
 
 だから皆、自分の国の命の値段を高くしようとする。国を強くするとはそういうことだ。力をつけ、強い国になり、影響力を持つ国になれれば、自国民の命の値段は高くなる。やすやすと殺されなくてよくなる。よくも悪くも、それが政治とか外交とかいうものだ。
 
 その弱肉強食っぷりは、いまの世界でも変わらない。

 
 昨日は8月15日だった。戦争関連の詩を紹介するのに、なぜ昨日を選ばなかったか?と言われたら、それは簡単なことだ。8月16日の今日が「次の日」だからだ。終戦の次の日。歴史に残らない、そして新しい日常が始まっていく最初の日。
 
 終戦後、ひとびとがどんな気持ちでこの日を迎えたか知らない。昨日聞いた玉音放送が、まだ耳に残っていたのだろうか。それとも、これからどうなるか不安でしかたなかったか。あるいは、そんなことを考える余裕もなく、ただ目を覚まして朝餉にしたのか。
 
 わからない。経験があるだろう祖父母は、4人とももういない。父方の祖父はかつて、満州に飛ばされた人だった。父に一度「おじいちゃんって人殺したことあるの」と聞いたけれど、はっきりした返事は返ってこなかった。
 
 わからんなあ。親爺は服飾やってたから、戦闘には参加してないんじゃないか……?親爺は当時のことをほとんど話したがらなかったから、俺も聞いてないし、わからんね。
 
 当時は兵隊の服を縫っていた祖父も、戦後は機械化に押されて失職した。戦争が終わっても日常は続く。昨日までとなんら変わっていない普通のひとびとが、また生きていく。その普通のひとびとの子孫はわたしたちだ。
 
 今村欣史の詩には、戦後のそういった詩が多い。「普通の人たち」の声が、すべては地続きなんだと教えてくれる。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。