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温かい、ミルクココア

 冬にはミルクココア。というこの考えをわたしに植え付けたのは、ユキちゃんという女の子だった。小中学校の同級生で、音楽の授業とリラックマを愛する人。
 
 きのう旦那さんから「ココア入れてくれる?」と言われた。寝る前だったからカフェインが入っていることを伝えると、なら牛乳も入れようかと言う。頭の中で懐かしいメロディが鳴った。
 
♪ あったーかい、あったーかい、ミルクーココア~♬……
 
 ユキちゃんが小5の頃、リコーダーで作曲した歌。
 
 叔母さんがくれたバンホーテンのスティックココアをお湯に溶かし、それから牛乳を注ぐ。ミルクココアの曲は、サビしか覚えていない。3番まであって「あったかいミルクココア」「つめたいミルクココア」「おいしいミルクココア」の3種の歌詞で歌われる。
 
 冬が迫る秋田の教室で、ユキちゃんはよくリコーダーを吹いていた。ある日「ねえねえ聴いて」と言われて、なにかなと思ったら、簡単なメロディでつくった『ミルクココア』を披露してくれた。
 
 「ちゃんと歌詞もある」とユキちゃんは言う。開いてみせたノートには手書きの楽譜があり、音符の下にひらがなが振られていた。あったかい、あったかい、みるくここあ。これが1番。わたしがわあっと感動の声を上げると、その場で2番と3番も作ってくれた。
 
 だから「冷たい」と「おいしい」は、即興で出てきた──ある意味、数合わせの──形容詞だったのであって、ココアは温かいのが本義である。寒くなっていく朝の教室で、冬になる楽しみっつったらやっぱりこれだよねって話をした。
 
 リコーダー1本あれば作曲ができる。そんな単純な事実をユキちゃんはさらっと体現し、彼女の独創性は音楽だけにとどまらず、ノートにはマンガが描かれることもあった。とくべつ上手ではないけれど、見ていて飽きない、ゆるくてかわいい絵。
 
 小学校はべつに好きじゃなかったけど、自由だったなとは思う。同級生のコウキくんも、自由帳を持って来てはオリジナルキャラを描き、みんなを楽しませていた。罫線の入ってない白紙タイプのノートは、あのころの休み時間を乗り切る必須アイテムだった。
 
 中学校に入った。ユキちゃんはあいかわらず音楽が好きで吹奏楽部に入ったけど、性格はずいぶん変わった。天然パーマはいつしかストレートになり、メガネはコンタクトになり、不真面目な子たちとつるむようになった。
 
「課題めんどくせー」
「ナナコに見せてもらおうぜ」
 
 低くだれた声で、友達とそんな会話を交わしていた。中学校のユキちゃんの記憶がほとんどこれしかないのは、そのときには接点がなくなっていたからだ。わたしたちの間には白紙のノートもなく、休み時間に一緒に吹いた、ソプラノリコーダーも消えていた。
 
 高校からは、もうどこに進学したかも知らない。久しぶりに地元に帰ったときには、わたしはユキちゃんに避けられるようになっていた。たぶん自分だけでなく、かつての同級生の誰にも会いたくなかったのだと思う。
 
 親が再婚し、連れ子同士はうまくいかず、高校は中退したと聞いた。遠目に見たときのユキちゃんは、天然パーマとメガネのユキちゃんに戻っていた。
 
 レンジがチンと鳴って、わたしは旦那さんの大きなマグカップを取り出す。母なら、こういうものは鍋でつくった。ミルクティーやミルクココアが小さな鍋で温められるのが、わたしの知っている秋田の冬だった。
 
 いま住んでいるところはまだ雪が降らない。それでも寒くなってきたら、ココアが恋しいもの。ココア単体でも悪くないけど、やっぱりミルクがあるといい。まろやかでホッとして、飲んでるあいだ悲しいことは考えられない。
 
 あったかいあったかいミルクココア、その幸福そうなメロディー。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。