本音はそうっと言ってほしい

 「嘘をつかないのが美徳」というのはわかるのだけど、上手な嘘が欲しいときってある。たまに「いついかなるときも本当のことしか言わない。俺は嘘はつかない(だから気高い)」みたいに言っている人を見ると、心底冷徹だなと思う。
 
 むかし父とこんな話をした。たとえ耳に痛い話であっても、本音を言ってほしいかどうか?父は「言ってほしいね。そういうのが誠実さってもんだ」。意見の違う自分は喰ってかかる。
 
「じゃあたとえば、デートのあとに『楽しかった?』って聞いて『全然。あなたは本当につまらない男だしデートの内容もカス』とか言われて耐えられる?もしくは、ベッドでいちゃいちゃした後に『よかった?』って聞いて『いままでで最低』って答えられても平気なの?」
 
「うーん?おまえは時々、ほんとうに極端なことを言うね?」
 
 いつでも本音をぶつけるのが「いいこと」だと思っている人を、いつもどうしても好きになれない。それは他人の本音に傷つけられて、再起不能になったことがないから言えるだけの、強者の戯言だよ。
 
 小さい頃、家族に「(私って)かわいーい?」と聞いて回ったことがある。
 
 母親は「かわいい~♡」とおだててくれたし、父親は、ゴマをする動作と共に目を逸らしながら「かわいい、かわいい」と雑に褒めてくれた。兄はといえば「身内のひいき目で見れば、見られなくなくもないかもしれないぞ」と答えていた。
 
 こういうときに真顔で「どう見てもお前は普通。くだらないこと言ってないでさっさと寝ろ」とか「真剣にブスだから、顔に頼らない人生をきちんと考えなさいね」とありがたいアドバイスをされていたら、幼いながらに相当なショックを受けたと思う。
 
 それは実際の美醜がどうとかではなく「この人は、わたしの望む言葉を知っているのに無視するんだ。そして自分の本音を言うことを優先するわけだな?」と感じるからだろう。それは身勝手で冷たくて、ひとりよがりな行為に見える。
 
 あなたは本当のことが言えてスッキリするだろうけど、言われた相手は傷ついている。そういうときに「本音を言うのは誠実でいいことだよな!俺って気高いよな、だって嘘つかないんだぜ!」となれてしまう人は、どうしたって残酷だと思う。
 
 耳に痛い話は、なんだって耳に痛いんだから聞きたくない。砂糖菓子にグラニュー糖ぶっかけたような甘い嘘で、スポイルされて駄目になっていくとしたって、それでも痛い話は聞きたくない。自分はきっと、そのレベルで「本音」を忌避している。
 
 ひとには上手な嘘をついてほしい、いつだって。
 
 「わたしにはホントのことを言ってね」と言ってくる人もいるけど、真に受けて応じればショックを受けるのだ、みんな。ねえ、あなたは自分で思う以上にキモくてバカだよ、だからもっと謙虚になったほうがいいと思う。なんてこと本当に言われたい?
 
 本音なんて基本、野蛮なもの。それをわかった上で上手な嘘をつき「世間」をやっていける。そういう能力は本音より高等だ。嘘つきがいいわけではないけれど、常に思ったことを素直に言う人も、それはそれで困る。
 
 最近「ひとは誠実な人が好き」というデータを見て白けたばかりなので、勢いでこんな記事を書く。誠実な人がいいと言いながら、嘘の上手な人についていく人もいれば、オブラートと砂糖に包んでくれと叫んでいるのに、ありのままの本音に刺される人間もいる。
 
 自分はついさっき刺されてきたばっかりなので、どうにも気分が晴れない。なんでみんなもっと優しい嘘をついてくれないんだろう、とぼやきながら土曜が終わる。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。