【詩を紹介するマガジン】第19回、Jacques Prévert(ジャック・プレヴェール)
どういう詩なのか、映像で見るとこんな感じ。
映像では女性が主人公になっているが、男性バージョンの訳も見たことがある。ここでは書き手が女性ということで話を進めるけれど、どちらで考えてもらっても詩の価値が損なわれることはない。
ジャック・プレヴェールは、映画『天井桟敷の人々』のシナリオを書いたことで知られる。映画は10代のころに一度見て「わからん」「でもわかるような気がする」「これがフランスか」と思った。
上で挙げた詩にはちょっとした思い出があって、別に美しい思い出じゃなくて、初学者だったときに翻訳に戸惑った記憶がある。そのときフランス語の先生と立ち話になったのを覚えている。
男の先生で、日本語の発音もどことなくフランス語に侵食されている人だった。眼鏡がよく似合う知的な雰囲気で、考えてみれば大学以来、あの手の人には会わない気がする。大学に多く生息するタイプなのかもしれない。
詩の中に「Ma tête dans ma main」という部分があって、直訳すると「わたしの手の中にわたしの頭」になる。
手の中に頭……?情景がうまく思い浮かばない。
翻訳をいくつか参照すると、訳が2パターンに分かれていた。
ひとつは、上でそうしたように「手に顔をうずめて」というもの。tête は「頭」という意味で最初に習うけれど、顔でもあり頭部でもある。ついでに指導者という意味にもなる。日本語でも、トップのことを「お頭(かしら)」と言うあれに似ている。
もうひとつは「頭を抱えて」という訳だった。直訳だと「手の中に頭(がある)」になるわけだから、これでもおかしくない。詩ではこのあとに「泣いた」とあるから、「頭を抱えて泣いた」になる。
日本語だとずいぶん印象が違ってくるけど、果たしてどっちなんだろう。
という疑問を持ったまま、解決しようともしないで大学構内を歩いていたとき、フランス語の先生が向こうから歩いてきた。ちょうどエレベーターのボタンを押して、文学部棟のフランス語フロアに向かうところらしい。
「先生」
とっさに声をかけて、頭の中にあったことを質問してみる。
「Ma tête dans ma main (マ テットゥ ドン マ マン)ってどうやって訳すんですか」
先生は(ん?)というように一歩下がってこっちを見た。こうやっていきなり本題を切り出すの、おそらく自分のよくない癖なのだけど、相手がたいていの場合応じてくれるので治ったためしがない。
「訳が2種類あって『手に顔をうずめる』と『頭を抱える』って見たんですけど、どっちが正解っぽいですか」
先生はひるまない。さっきの自分の拙いフランス語も頭に入っているらしく、さらさらと答える。
「どちらでもおかしくはないですけどね……。手に顔を、でもあるし、頭と訳してもおかしくはないです。ただこのとき、手が単数形なのには注意が必要ですね。もし両手で頭を抱えて『ウーッ』となっているなら『ドン メ マン』と複数形になる必要がある」
文脈と、自分がどういう情景を描きたいかによります。先生は解説しているあいだに来たエレベーターをやり過ごし、自分が「ありがとうございます」と引くと、いえいえと言いながらまたボタンを押した。
あのときのことを思い出すと「エレベーター待たせて悪いことしたな」と「すっごい唐突に話しかけても、先生って答えてくれるんだな……」という2つの感慨が湧いてくる。
フランスで作られた映像を見る限り「手に顔をうずめて」が、多くの人の想像する状況に近かったんじゃないか。
あれ以来、翻訳作品を見ると時々「この訳の背景には、いきなり捕まえられたフランス語教師がいるのかもしれない」と思う。あのとき話しかけられた先生が、どことなく嬉しそうだったのを思い出している。
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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。