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「ポリアモリー」と「ポリアモリー的思想を持っている人」の違い

ポリアモリーの一番大事なポイントとは

「関係者全員の合意を得た上で複数の相手とパートナーシップを結ぶ」

というところだろう。

この「合意を得る」というのは言うは易く行うは難し、である。

これができないうちは単に「ポリアモリーに憧れている、複数の人が好きな人」でいるにすぎない。

私はポリアモリーとして生きる宣言を周囲にカムアウトし始めたところで

厳密にいえば「ポリに憧れている人」→「ポリアモリー」へと羽化しかけている蝶のような状態なのだと思う。

今後はポリアモリーとして生きていくのだな。という感覚が自分の中に確固と芽生えたのを感じたのは、二度目の夫と離婚するタイミングだった。

その時はまだ、自分が今後恋をする予感が全くなかった。4歳の娘の子育てが楽しくて、娘との愛情で満たされていたし、周囲に魅力的だと感じる男性も生息していなかった。厳密に言うとそのころの私の波動が、魅力的な男性の存在から遠い世界にチャンネルを合わせていたのだと今ならわかる。

遠くに暮らす父親から始まり、近所に住む男性、職場にいる男性。みんなクソって思ってた。男性が地球にいる意味ってなんかある?いなくていいよね・・・って本気で思ってた・・・・。恐ろしい。

ただ、そういった一連の「男性不信」のような課題をクリアにした事で今回の離婚につながったのだとすれば、その問題が解消したのちには

恐らく、私の人生は愛でいっぱいになるだろう。

無限の愛で満だろう。満ちるからには、沢山の人を愛せるようになるだろう、という無意識のうちの予感のようなものを感じていたに違いない。だからこそ私は元夫に笑いながらこう言ったのだ。

「私は一夫多妻制でもいいよ。ていうか多夫多妻制かー」

その時の夫はうんざりしたような困惑したような顔でこう言った。

「まあ、もう夫婦じゃなくなるんだし、好きにすれば。俺は、オマエのようなぶっ飛んだパートナーの存在を許してくれるような寛大な女の子に出会える気がしないわ・・・・。」

そして私は笑いながらこう答えた。「え?ほんと?私はそういう男性に出会える気しかしないんだけどな!」

そのとき、元夫の事を、なんか不貞腐れてグズグズしていて、今後自分を幸せにしてあげる気のないつまんない男だな、というような解釈でしか理解できなかったけれど

今になり気が付く。それは彼の「モノガミー宣言」でもあったのだ。

そう。彼はモノガミーだったのだ。

そんな事にも気が付かず、(いや、気が付かないガサツな振りをした)モノガミーの彼にポリアモリーを推すとは、私自身がなんと幼稚であった事かと今更気が付いて唖然とする。

ベジタリアンの人に、美味しいから食べなよと肉を勧めるのと同じような強引で自己中心的で思いやりのない行為でしかなかった。

そんな思いやりのない行為は「ポリアモリー」とは反するものだ。

だから私はその時はまだ、「ポリアモリー」の足元にも及ばない

ただの「ポリアモリー的思想をもって憧れてる未熟な人間」でしかなかった。

本物のポリアモリーへの旅はまだ始まったばかりなのだ。

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