つらい「いま」に寄り添うこと

「生きることから逃げるな」
「生きてたら必ずいい事があるから」
追い詰められてる時にそんな言葉を言われると、「でもいま逃げたい、いまいい事が欲しい」と思うことがある。

いつか、じゃなくて、
この先、でもなくて、
つらくて苦しい「いま」を楽しく、救ってくれる何かが欲しいと、思うことがある。

その瞬間の苦しいとかつらいとか、そういった感覚や感情を100分かるのは、その人自身しかいなくて、
だから、あまり深く関わりがないと思ってる相手などから、ただ「生きることから逃げるな」「生きてたら必ずいい事があるから」とだけ言われてしまうと、表面上で誤魔化したとしても
「何も分かってないくせに」
そう思ってしまう。

それを声に出して言ったら、「いや、分かるよ」と言われるかもしれない。
それは、生きることから逃げるなと言った人自身にも、それまでに、苦しくてつらいことはあったからだと思う。
しかし、そういう時もあるよねという共感はできても、いま苦しい人の苦しさやつらさを100全て理解しきることは難しいこと。そして人により重さも感じ方も違う。

それを乗り越えた先が楽なのかも分からないけれど、それを乗り越えるのも大変に思う。長く続く暗いトンネル状態で、出口も見えずに。

人は生後間もないうちは、感情の表し方が「笑うこと」「泣くこと」という2つにざっくり分かれてるというのを聞いたことがある。
成長していくにつれ、周りの人やものと接することで感情表現も学んで、自然と喜怒哀楽を表せるようになっていくと思う。
それまでは、選択肢が少ない状態にある。

それは感情だけじゃなく物事の考え方もたぶんそうで、
「生きること」
「死ぬこと」
という極端な2択しか持っていない状態から、いろんな回避方法や楽しいことなどを知っていく。
そうすることで、その極端な2択のうち、「生きること」のほうがたくさん枝分かれしていき、選択肢を増やしていく。

「死ぬこと」に関しては、その先の選択肢は何一つない。死んでしまった途端に今の人生は終わりだからだ。

生きることの選択肢をどれだけ増やせるかが重要だと思う。

増やすために、いろんな人やものに自ら接して知ることも大切だし、周りがその選択肢を与えたり一緒に考えてあげたりすることも大切だと思う。

「生きることから逃げるな」
「生きてたら必ずいい事があるから」
それは「いま」がつらい人にとって、「いま」から目を背けた未来の話になってしまうかもしれない。

だから、つらい「いま」に寄り添い乗り越えられるように支えてあげることを考えたほうが、結果的に未来に繋がると思う。

未来にもいてくれるその人だけでなく、
もっと大切なのは目の前にいてくれている「いま」の、その人。

よろしければサポートをお願いいたします。 とても励みになります。