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「家」に縛られていた話 / このバトンを海に思いっきり投げて


突然ですが、筆者は近々結婚予定の女です。

私は岩手県の山間にある小さな町で生まれた。町にはカラオケも無いしマクドナルドも無い。唯一のアベニューにはシャッターが閉まった店が連なる。そんな町で18歳までを過ごした。

実家では小さな頃から婿を貰う話をされていた。何故なら私は一人っこだから。「長男」「次男」という男の子の肩書きは日常的な会話の中に存在していた。

「長男・若しくは婿入りが嫌という人とは結婚できない」「地元に居なければならない」出自に縛られて生きなければいけないことが物凄くストレスだった。

「都会の人はこんなこと気にしないんでしょう。兄弟がいる人は相談出来るでしょう。何で私だけ縛られなければならないのだろう。」と思っていた。田舎特有のコミュニティの狭さも相まって、その窮屈さが嫌だった。だから、大学進学を理由に地元を離れた。


あれから約10年が経過した。新卒で入社した会社で知り合った男性と暮らして7年近く経つ。この春、彼の転勤を機にもうすぐ結婚する予定。一人っ子の私が嫁ぐと、実家を継ぐ人はいなくなる。前述した通りの田舎なので「家」の問題は少なからず私の人生に付き纏っている。地元を離れてある程度割り切ったと思っていたのに、いざ結婚を決めてからというもの、ずっと自己嫌悪に似た感覚に囚われ続けている。

この選択で本当に良かったのか?という自責にも似た感覚にずっと悩まされている。


話は戻るが、私の母も一人っ子だった。彼女は「きちんと」婿をもらった。それもお見合いで。その相手が私の父だ。

恋愛結婚をする家庭ってドラマや小説だけの話だと思って育った。私が子供の頃、彼らは顔を合わせれば喧嘩していたし、共働きだったので私の面倒は祖父母がみていた。当時、両親の愛を感じていたか?と言われると即答するのは難しい。お金は沢山かけてくれたと思う。でも、幼い私が欲しかったのはもっと別の、仲良い両親と過ごす時間だったんじゃないかと思う。



先日、の子(神聖かまってちゃん)(一等好きな音楽!)の新曲PVが発表された。
「このバトンを海に思いっきり投げて」

ご先祖さんから僕はバトンタッチされたのさ
何十年間を色々あったね
がんばったんだね
このバトンを海に思いっきり投げる
放物線を描いていく人類史にさいなら
僕はまじで気にしすぎていたんだね
全力でぶん投げた
大島亮介(神聖かまってちゃん) 


この曲を聴いた瞬間、思い浮かんだのが自分の生きてきた履歴である。今までの人生のあれこれが物凄い勢いで、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。(勿論、筆者が勝手に思ったことなので、の子氏の意図とは無関係。)


"生"のバトンを受け取った以上、正しく完走しないとって思って生きてきた。「渡されたバトンを手から離すなんて、あり得ない。」そうやって生きてきた。でも、ずっと握りしめているバトンを放り投げても良いんだよって、初めて言ってもらえた気がした。君はもっと自由でいて良いんだよって、言ってもらえた気がした。なんだろうね、誰にも話せず相談できなかっまモヤモヤに切り込んでくれたんだよね。


誰も言ってくれない「何十年間を色々あったね がんばったんだね」をくれてありがとう。私が生まれた場所からは海が見えない。でも私が自分で掴み取って生きてきた道に佇んでいる今、住んでいる場所は海の近く。


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