『エルサレム』ゴンサロ・M・タヴァレス著/木下眞穂訳——夜明け前のもっとも闇の濃い時間で展開する物語

二〇〇四年、アンゴラ生まれのゴンサロ・M・タヴァレスがポルトガル語で発表し、数々の文学賞を勝ち取り、世界五十ヶ国で翻訳された衝撃作だ。書名は『エルサレム』だが、舞台はどこかのドイツの街らしい。

それほど長くはない小説なのに、実に三十二もの短い章から構成される。途中には謎めいた預言書のようなおもむきの小説「ヨーロッパ02」が、入れ子構造のように挿入されてもいる。時間は不思議な進み方をする。ぐんと進むかと思えば少し後戻りし、種明かしがなされたかと思えば、また迷宮のような過去へと舞い戻る。

登場人物もまた多彩だ。死病を抱えた中年女性、窓から飛び降りかけている中年男性、戦地帰りで恐怖と怒りを溜め込んでいるらしき男性、街頭に立って客を取るもう若くはない売春婦、過保護に育てられたらしい足と発話が不自由な少年、いっとき一世を風靡するも今は落ち目の精神医学者。

五月二十九日、朝四時前。夜明け前のもっとも闇の濃い時間。街の中心には大きな教会が黒々とそびえ立っている。登場人物たちはそれぞれの事情と理由を抱え、人通りの絶えた道へと出て行き、教会の方角へとまるで引き寄せられるように向かっていく。ある者は痛みに耐えかねて、ある者は怒りのはけ口を求めて、ある者は恐怖に駆られて。彼ら彼女らが現実に交錯するとき、もう決して後戻りできない何が起こる。筆致はときにグロテスク。神のように俯瞰する視点は無慈悲だが、おかしみさえ感じさせる箇所もある。

中心人物の一人、精神医学者のテオドールは、人類の歴史が経験した恐怖を精緻にグラフ化することで、未来を予見し、世界を救済したいという壮大な構想に取り憑かれているが、いっぽうで「魂が見える」という妻ミリアを精神病院に閉じ込める。それ自体が狂気をはらんでいるようなテオドールの考察は、否応なく読者に問いを突きつける。世界が抱える恐怖の総量を数値化できるなら、それは歴史の進行とともに減少しているのか、それとも増大しているのか、と。

「エルサレム」という地名が初めて出てくるのは一六八ページになってから。「エルサレムよ/もしも、わたしがあなたを忘れるなら/わたしの右手はなえるがよい」という、痛切な望郷の思いがうたわれた詩編の一節に引用されるにすぎない。黒々とそびえ立つ教会に、ついに迎え入れられる登場人物はいるだろうか。現代の狂気と恐怖と痛みに慣らされてしまったわたしたちが帰れる場所、帰るべき場所はいったいどこにあるのだろう。


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2021年12月5日、豊崎由美さんの翻訳者向け書評講座に参加してきました。
出版翻訳の経験はない私ですが、門戸を広げていただいてありがたかったです。Twitterで感想程度を呟く以外、これだけのまとまったボリュームで書評を書くなんて初めての体験でした。

普段は外国語を日本語をどのように正確に移し替えるかということしか考えていないので、いざ、自分の言葉で何でも書いていいとなると、とくに断言することに怖じ気づいている臆病な自分というものに気づきます。そういう意味でも本当に深い学びを得ることができました。

豊崎さんはもともと大ファンだった方。講座では豊崎さんが考える書評のあり方について、さまざまな角度からお話がありましたが、同時にとても強調されていたのは、書く人の数だけ書評のスタイルはあっていいということ。とにかく今持っている自分の個性を大事にしてくださいということでした。

まだまだ個性といえるクオリティーのものではないことは重々承知ですが(自分では印象批評というのもおこがましい、雰囲気批評にさえ届いていない代物だと思いますが、授業中、「短歌」のエッセンスが入っている書評と受講者のお一人に言っていただけたことが嬉しかったです)、読んでみてもらわなければ上達も望めないのは、翻訳の勉強でも身にしみていること。

ですので思い切って公開いたします。忌憚のない感想をお寄せいただけたら嬉しいです。


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