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「良い子はみんなご褒美がもらえる」

舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」/2019年



舞台は1970年代、ソビエト。
独裁国家の精神病院の一室に、二人のアレクサンドル・イワノフが収容されている。

一人のアレクサンドル・イワノフ(堤真一)は「正気の人間が政治的思想を理由に精神病院に入れられている」ということを公表したため、名誉毀損の罪で捕まった。

もう一人のアレクサンドル・イワノフ(橋本良亮)は、「自分はオーケストラを連れている」という妄想に囚われて、収監された。

イワノフには「オーケストラはいない」と自由に想像することを抑制し、アレクサンドルには「自分の意見を持つ」こと「思考すること」自体が病気であると諭すが、アレクサンドルは頑なにハンストで抵抗する。

しかしアレクサンドルは民衆の中で有名人。もしもハンストの末に死なれてしなうと抑圧している民衆の怒りが爆発しかねない。

そんな状況を恐れる国家はなんとかアレクサンドルにハンストを諦めさせようとするが、それでもアレクサンドルは諦めようとしない。万策尽きた末に「体制側」が取った行動とは…





「理解されない」と社会の当たり前から否定され、精神がおかしいと疑われ、行き場を失ったアレクサンドルは、それでも「社会」が悪いのだと主張し続ける。

「理解されない」けれど、オーケストラが頭の中にいることを疑うこともせず、精神異常状態を楽しむイワノフ。


両極端な二人が「信じる」世界。



後者のイワノフは、イワノフ演じる橋本くんご本人がパンフレットで語っている言葉がまさにそのものかな、と。「周りからは頭のおかしいヤツだと思われているけれど、僕は本当はおかしくないんじゃないかと思ったりもしています。」

「オーケストラはいない」とイワノフの妄想は否定されていたけれど、舞台上にオーケストラはいた。オーケストラの存在を観客に可視化させることで、オーケストラがいると思わせられるし、イワノフが頭のおかしいヤツだとも思えなくなる。

イワノフはむしろ、自分の人生を楽しんでいるだけで、それこそ「おかしいヤツ」じゃないのかもしれない。



「自由なふりが得意になった不自由な社会へ」いうキャッチフレーズなだけあって、独裁国家の時代と、自由であるようにみえる今の時代は、全く違うように見えて、根本は同じなのではないかと感じる。


「社会はそういうものだから、従っていればいいのだ」と教え込まれて、なんの疑問もなく「社会はそういうものだから」と生活している私たちって、自由な世界に生きているはずが、本当は不自由なのではないか。



舞台の最後にイワノフが「やっぱりオーケストラはあったんだ」と喜んでいた姿は、とても清々しかった。


私はアレクサンドルであり、イワノフのように生きたいと願ってきた人間なのかもしれない。


「信じる」こと、「思考」すること、つまり「自由」であること。

それが、「生きる」という最大限の表現なのではないだろうか。

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