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【心の解体新書】3.心の機能

【心の解体新書】は筆者が一年後(2025年夏)までに『人はなぜ幽霊を怖がるのか、人はなぜモノマネを笑うのか』というお題に対して答えていくための思考メモです。そのために
・人はなぜ心を持つようになったのか
・心の機能――身体と心の関係と心の役割
・人はなぜ笑うのか
・人はなぜ怖がるのか
・心と感情と知識の相関図
・心は鍛えられるのか
・共通認識と普遍性
・心の言語化と会話の役割
・幽霊をモノマネすると人は怖がるのか
・心の解体――計算可能な心と不確定要素
といったテーマを今後掘り下げていきます(改変、追加削除あり)

 前回は人が心という生命維持機能をどのように獲得したかという話をしました。考えてもみてください。人にこれだけの知能があってもし心がないのだとしたら世の中はもっと殺伐としていたでしょう。己の生存のために他者を貶めることを是とし、恐れや敬う心なく生き物の命を狩り続ける殺戮マシーン。まぁ、実際にはそういうものも世の中には存在しているのかもしれませんけどね。

 人間の身体には当たり前に生命維持機能があります。痛みや温度の変化を感じる感覚、視覚、嗅覚は言うまでもない。本来そうした危険を察知する、または利益を得る(狩りや収穫)ために使われている身体的機関と心はどのようにかかわっているのか。
 人は恐怖を感じるとき、体が震えたり、鼓動が高まったり、手に汗をかいたりなど、様々な身体的反応を示します。これらは反射といわれる無意識の身体的反応ですが、恐怖を克服すること、経験をすることである程度コントロールすることができます。
 現代において人が生命の危険を感じることは、たとえば中世の人々と比べれば命の危険は格段に少なくなっているだろうし、古代に比べれば中世は格段に命の危険は少なくなっていたのだろうと思う。
 こちらの研究では産業革命くらいまで、平均寿命は40歳に満たなかっただろうとしている。

https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/19360403.pdf

 ところが恐怖の総量と考えてみると果たしてどうだろうか。これは少し脱線する話になるが、現代において恐怖を扱ったエンターテイメントが増えている事実を考えると、人は恐怖したがっているうようにさえ思える。或いは恐怖の無い世界を恐れているのだろうか。
 恐怖と対照的な心の動き、安心感=リラックスとした場合、人は恐怖や緊張しているときよりもリラックスしているほうが身体がスムーズに動くし、思考も視野を広く見る余裕ができる。恐怖が緊張であれば、リラックスは緩和。そしてリラックスの上位にあるのが笑いとした場合、人は気分が高揚し楽しくなる。逆に言えば命の危険の多かった中世や古代において一体人はどれだけ笑えたのだろうか。
 この辺りはまた別の機会に検証するとして、恐怖、緊張、安心、笑うのほかにも体の反応を伴う心の動きはある。

 人は悲しい時に涙を流し、嗚咽し、泣く。またうれしい時にも同じ反応をすることがある。これは実に興味深い。確かに恐怖するときも泣くことがある。例えば驚くという心の動きがあったとき体は硬直するが、その驚きから解放され安堵すると場合によっては途端に涙を流すことがある。そしてもう一つ、笑うこともあるのではないか。
 動物にも表情が豊かな生き物がいる。最近の研究ではネズミも笑うということが分かってきたそうで、くすぐると喜ぶし、かくれんぼをして喜び合い笑うことが分かってきたそうだ。

 この研究の面白いところは、苦痛の表情をしているネズミに対してほかのネズミは近づかないということだ。これは表情によるコミュニケーションがネズミをはじめほかの動物たちにもある可能性を示唆している。しかしそれを持ってネズミに心があると考えるのはどうであろうか。
 前回の『人はなぜ心を持つようになったのか』では、心の証明には言語化が必要としている。生き物は生命の維持、種の保存のために様々な能力を有し、それによって生存競争を勝ち抜いてきたのである。そのなかで人は心を獲得した。ネズミは個体の表情からそこが安心して住める場所であるのか、近くに危険が迫っているのかを表情や鳴き声で仲間に知らせるというコミュニケーション手段を持ってはいるものの、それはここで論じようとしている心と身体のテーマとは類似点はあっても分けて考えるべきことだろう。
 犬は尻尾を振り、ゴリラはドラミングをし、ネコは尻尾を太くする。それぞれに心の存在を垣間見ることはできるかもしれないが、それは今後の研究に期待したい。

「最近、一番楽しかったことと、悲しかったこと、不安に思ったこと、そして憤激したことを教えてください」と問われたら、あなたはすべて答えられますか?
 毎日が楽しくて仕方がないことでも、ちょっとしたことでがっかりすることもあれば、買い物をした店の店員の対応に不満を思ったこともあるでしょう。どんなにつらい毎日でも、通りすがりの小さな子供と母親のやり取りを目にしたとき、クスっと笑うでしょう。人は生命の危機とは関係なしに心が動きます。そしてそれによって泣いたり、笑ったり、怒ったり、大声を出したり、いきなり走りだしたり、ステップを踏んだり、或いは立ち止まってガッツポーズをとったりします。
 そうえいばカミさんは時々僕の目の前で踊りだします。これは『おどける』という行為なのですが、実に興味深い人の行動です。人は自分に注目を集めたかったり、場の雰囲気を変えたかったり、或いはテレカクシ、ごまかしをするときにこの『おどける』という行為をします。その感情、心はいったい何者なのでしょうか。

 2019年に公開された『ジョーカー』という映画があります。

 ジョーカーはDCコミックの『バットマン』に登場するスーパーヴィランですが、この映画はジョーカーの誕生を描いた作品であり、かつこれまでのバットマンシリーズに登場したジョーカーとは一線を画した作品になっています。主人公ホアキン・フェニックス演じる心優しき道化師アーサーは病気を抱えています。それは本人の意思に関係なく『笑ってしまう、笑いが止まらなくなる』という発作が出てしまうこと。それゆえに周りから疎まれ、また彼のジョークは人を笑わせるにはどこか稚拙で滑稽であり、周りに理解されません。そして彼は妄想と現実の狭間でもがき苦しみ一つの犯罪をきっかけにジョーカーへと変貌していく。

 心と身体の関係性は個体差はあるものの、相手が笑っていれば楽しいのか、コミュニケーションをとろうとしているのかの区別がつきます。先ほどのネズミで言えば、安全でも楽しくもないところで笑ってしまうネズミはやがて集団に危険を及ぼす可能性があるでしょう。彼は危険を知らせたくとも笑ってしまうのです。苦しくても笑ってしまうのです。

 心が機能しても体がおかしな反応をしてしまうと人はどうなるのか。考えるだけでも恐ろしいと思いませんか?
 しかし人はうれしくても涙するし、悲しくても涙する。そして道化師のメイクは口は笑っているのに目にはティアドロップを描きます。道化師=おどけるものとは、実に面妖です。だからと言ってうちのカミさんの踊りには特に意味はなく、ただ人の反応を見たいだけなのでしょうけれど(もし、そうでないのなら、それもまた恐ろしい話ですが)

 心の機能は人間が社会的動物であるがゆえに必要な複雑なコミュニケーションを円滑に行うものであるのですが、同時にその個体、個を守るための防衛機能も兼ねています。あなたが悲しい時に涙を流せば人はあなたを心配するでしょう。それによって悲しみは癒されます。
 あなたがひどく怒っているときに、相手は謝罪をするでしょう。或いは争うことになるやもしれませんが、それであなたのストレスは少し和らぐでしょう。
 あなたがとても喜んでいるとき、みんなが祝福してくれるでしょう。それによってあなたは自分が認められたと自信を身に着けるでしょう。

 心は外的刺激からあなた自身を守り、そして時に集団を有益な方向に導くことができる。またその逆にあなたの過失や悪意で人を危険にすることも怖がらすこともできます。そして心と身体関係が機能しなくなったとき、ジョーカーのように反社会的な存在になるやもしれない。

 喜ぶ、怯える、悲しむ、怒る、和むといった心の動きに呼応した体の様々な反応は大きく緊張と緩和に分かれ、心拍数の変化や体温、視野の広さなど様々な影響を及ぼし、人はそれらを駆使して他者とのコミュニケーションをとったり、自己のストレスを緩和、発散し、個と個を含むコミュニティを守り、維持しようとする。それは複雑なサインを理解する高度な知能と知覚があるからこそ実現でき、なおかつそれらの事象を言語化することのできる人類は、今、こうして地球上で文明を築き繁栄をしている。
 それは心を獲得した人類だからこそできたことなのだと思う。


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