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【心の解体新書】2.人はなぜ心を持つようになったのか

【心の解体新書】は筆者が一年後(2025年夏)までに『人はなぜ幽霊を怖がるのか、人はなぜモノマネを笑うのか』というお題に対して答えていくための思考メモです。そのために
・人はなぜ心を持つようになったのか
・心の機能――身体と心の関係と心の役割
・人はなぜ笑うのか
・人はなぜ怖がるのか
・心と感情と知識の相関図
・心は鍛えられるのか
・共通認識と普遍性
・心の言語化と会話の役割
・幽霊をモノマネすると人は怖がるのか
・心の解体――計算可能な心と不確定要素
といったテーマを今後掘り下げていきます(改変、追加削除あり)

 心の存在証明はどのようにするのか。それによっては人だけではなく他の動植物にも心の存在を観測できるかもしれない。これは感覚的な話ですが筆者は動物にも心はあるし、シャーマニズム的な自然へのアプローチは原始的に人が世界をどう認識してきたかという観測可能な事象だと思っています。

 あなたの心はどこにあり、どんな形をしているのかと問われれば人それぞれ反応は違えど、ある人は頭を差し、ある人は胸を差し、ある人は手でハート型を胸の前で作るでしょう。頭の前で作る人がいたら、それはかなりユーモアのセンスのある人なので笑ってあげましょう。あくまで感覚的なはなしです。

 命の源として人はその胸の鼓動を意識せざるを得ません。また記憶と思考があっての心ということで頭と心を切り離すことはできないでしょう。しかし動物や植物にはそうした感覚はあるのでしょうか。

 答えはノーだと思います。なぜならそれらはそうした事象を言語化できない、或いは人類が他の生き物たちの言語を理解できないからです。理解できないものは存在しないとは、いささか横暴ではありますが、あくまで感覚的な話です。そしてこの感覚的なものを言語化できるからこそ人には心があると言えるのです。

 筆者が心のメカニズムはどうのようになっているのかを考える時、まず心とは何を差すのかを言語で考えます。同時に感覚では頭や胸に意識が行きます。これがある意味心の正体なのだと思います。思考することは論理的な行為で、そこには感覚で得られた情報を数値的に処理すること、そして筋道ともいえるフローチャートを作り上げます。
 筆者で言えば心とは何かと考えたとき、今こうしてそれを考えている自分に幸福感に近いものを感じています。これは人によってまちまちで、面倒だと思う人もいるでしょう。筆者は人類社会の歴史、生物学的な進化といった知識をもとに心とは何かを思考します。その知識がなかったり偏っている場合、或いは記憶違いなど、様々な要因で違う結論が出る場合がありますが、その知識の細部をここで示すこともきりがないので、以下のようにまとめてみました。

 生命は生存と繁殖を志向する。ヒトという生物が生存競争で生き残り、繁栄するために心は大きな役割を担った。心を持ち始めたヒトの種族は発展し、そこに遅れた種族はおそらく絶滅してしまった。ゆえに心とはヒトの獲得した生存維持機能である。その役割は次のようなものがある。
【危険回避=命の選択=本能行動】
 恐怖心は危険から身を守る役割を担い、それを体験してからでは遅いので言語でそれを伝え、それを怖いと思えるように人の心は発達したと考えられる。猛獣が怖いと体験して気づいていたのでは生き残れない。闇に何かが潜んでいると知ってからでは遅い。だから闇を恐れ、獣の声や気配に慄く心が必要になった。

【欲動要求=繁栄の選択=学習行動】
 水や食料、それを安定して得られる居住区と集団でいることの安心感は繁栄のために必要な心を発達させた。人は顔の表情で自分の要求を他人に伝える術を得て複雑なコミュニケーションが可能になった。そこに喜び、悲しみ、怒りと言った反射的感情をそれぞれの人間が持っているという共通認識を可能にし、それらを学習することで生活力を高め、子孫を多く残すことに成功した。

 ここで重要となるのが心とは感情と思考と知識(記憶)が複雑に絡み合って存在している生存維持機能であるという点だ。人の心が動くとき、それは感情(好き、嫌い、楽しい、つらい、等)と思考(損得)と知識(経験から物事を判断する)が同時に動いているという実に複雑な回路であるということと、それを可能にしている脳を人類は有しているということだ。そして何より、人はそれを言語化して他者に伝えることができる。地球上では唯一の存在と言っていいだろう。ゆえにこれだけ増えているのだ。

 まとめれば、人は言語を使う高度な社会的動物であるがゆえに心を持つと言える。言語を使うという意味では動物もそのしぐさや行動、鳴き声で複雑なコミュニケーションをとることは可能だが、それを時間を超えて行うことはできない。つまりリアルタイムコミュニケーションでしか言語を使うことはできないのだ。
 人は絵を描き、やがて文字を発明して発展した。絵や文字を見て美しいと思えるたり、怖いと感じることは他の動物たちにはできないだろう。

 そして心が機能である以上、誤作動もすれば故障もする。肉体の部位と同じように病気になるし、傷つく。ゆえに心は存在する。存在する以上、メカニズムが存在し、メカニズムであるいじょう計算可能なのだ。その計算を用いて物書きはキャラクターを生み出す。そのもっとも有名な存在は神なのかもしれないが、ここで宗教論を論ずるつもりはない。

 ただ、これだけは言える。心を持つものはみんな神を持つ。否定しようが肯定しようが、そこには必ず人の心の上位存在=神と下位存在=悪魔を生み出す。それは人類が文明を持つようになってからあらゆる場所で起きている観測可能な事象であると言える。

 さて、人がなぜ心を持つかについては以上のような思考を筆者はする。機能である以上、心には強度があり、弱点が存在する。つまり鍛えることもできれば、壊すこともできるということなる。ここからは大いなる推論であるが、人は心があるから夢を見る。脳は一日、一日その時にあった情報=記憶を睡眠中に整理する。脳の記憶容量は決して無限ではないし、有効に使うためには不要な記憶は圧縮してフォルダにまとめて管理し、時に忘れるということでデータを消去する。
 すぐに使うだろう記憶はデスクトップにショートカットを作っていつでも引き出せるようにするし、とっさのときに使うべき情報とルーティン的に常時使う情報はメモリに保管し、必要な時に即時に使えるようにする。実に機械的にそういうことをしながらも、夢を見ているとき、人は心を動かされる。怖い夢、不安な夢、楽しい夢、悲しい夢。人の心は感情という刺激を記憶に紐づける(インディックスをつける)ことでいつでも引き出せるように準備をする。
 いかに心がメカニカルであり、同時に感情という刺激が心にとって重要な役割を持っていることを示唆している。さらに人には損得を考える論理的思考が備わっており、単なる利益の追求だけではなく、誰かに気に入られたいや、気に入っている人と一緒の時間を過ごすことを重視することがある。
 恋愛関係や友人関係というのは感情と思考の一致を見ることがときに難しい場合があり、そのとき人は酒を飲み、泣き、笑い、怒り、ふて寝をして夜更かしをして葛藤をする。
 心があるゆえのハンディキャップなのかもしれない。動物たちの恋愛は人間社会に比べればシンプルに見えるが、さて、本当のところはどうなのか。もし犬や猫の言語を翻訳するような未来的機械が発明されたのならぜひインタビューをしてみたいところだ。

 筆者は期待する。犬猫やカラスには人とはまた違った心があって、彼らなりに葛藤をしながら生きていることを。そして人間たちをどう見ているかということをいつか聞いてみたいものである。

 最後に、筆者がもっとも重要視する人の心に好奇心という厄介ながらも必要不可欠な存在がある。人は夜空を見上げ星という概念を得たとき、その星たちがどういう存在なのかを考えた。これは身近な森や草原、川や海と違って手に触れることのできない存在である。手に触れられないようなものを観測しているうちにそこに規則性があることを誰かが発見した。太陽はある方向から浮かび決まった方向に沈んでいくものの、時期によってその起動がかわる。月は夜毎にその形を変えて変化し、そこに規則性を見出す。
 観たこともない動植物たちをどうにか食べられないかと試行錯誤するのは生存欲でもあり、また好奇心でもあったのだろう。人は好奇心があるからこそ、他社に興味を持つともいえる。単に生存のためだけではなく、何かを知ろうとする知識欲だけでも説明のつかないこの好奇心という心を人はどうやって獲得していったのだろうか。
 好奇心があったからこそ人類は発展したとして、その好奇心はどうやって生まれたのだろうか。或いは好奇心とはその大きさもそれによって行動するかどうかも含めて実に計算の難しい心である。
 生まれた時代が時代なら、僕は好奇心によって身を滅ぼしていたかもしれない。そこで気づくことがある。僕という人間はとても臆病なのだ。逆に言えば危険を回避してばかりでは、やはり生き残れないということなのか。
 好奇心を獲得した種族が生き残ったという可能性はないだろうか。心について興味は尽きないが、好奇心についてはまた何かの機会に掘り下げてみたい。

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