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【心の解体新書】1.問題定義と仮説

 心のメカニズムを解く鍵はどこにあるのか。
 その答えを求めて購入した本がロジャー・ペンローズ著『心は量子で語れるか』であったが、この著書を読み解くには現代物理学の基礎的な知識と理解が必要なのか、どうにも僕には読み解けなかった。というか読み切ることができないままでいる。

 そもそもそこにたどり着いたのは人の持つ心というものに何か物理的に証明可能な『力学』の方程式が存在しうるのかという疑問と期待があったからである。
 そこで僕が始めたのがこの本をしっかりと読み解くことと、タロットカードなる確率の偏りから読み解く占うという行為だった。前者は挫折し、後者は未だ懐疑的ではあるが、一定の成果は得られたと思っている。

 この一定の成果については別の機会に述べるとして、人は確立の偏りから何かを感じ取り、それを言語化することができる稀有な生物であることはそれほど理解に難しくない。占いとは当たる当たらないではない。何を感じ、どう行動するかなのだ。『当たるも八卦、当たらぬも八卦』とは単に占いは当たることもあれば当たらないこともあるというだけではなく、占いによってどう感じ、どう行動するのか。当たるも当たらぬも自分次第という意味合いも含まれている。
 『未来は予測可能か』という問いに対して、まったく予測はできないと考える人は少ない。現在の延長線から予測できる未来は必ず存在するし、そこに当てはまらない未来というのも必ず存在する。
 だからといって占いなどという摩訶不思議なパワーに未来を託すことはできないが、気づかなかった可能性を見出すきっかけくらいにはなるはずだ。

 さて、心とは実に不可思議なものである。未来の予測をしようとする原動力は果たして何なのか。それは『不安』という心であり、『期待』という心であるとは理解できても、多くの人の不安や期待が未来を動かすとなれば、話は変わってくる。そこには集団心理という統計によってある程度予測可能な『傾き』を認識することはできても、なぜ人の心はそのように作用するのかについては意見の分かれるところではないだろうか。
 飛躍して心そのものに力学的なパワーがあり、重力がごとく未来に働くのだとしたら。

 そもそもなぜ人には心があるのか。心という概念を理解できる知能の上になりたつ存在であることは間違いない。そして時々人は動植物にも心の存在、ひいては魂の存在を期待する。そして少なからずそれらは期待に応えるようなふるまいをする。それこそが物理学的なアプローチにつながり、現在では量子力学と心を結びつけるような書籍が散在するし、それを否定する書籍も存在する。

 ここにこれから書き記していくことは、何の専門知識を持たない、ただ好奇心旺盛な筆者が、とある問いに一年後に応えるための思考メモとなる予定だ。ただ好奇心が旺盛なだけにいかようにも脱線することは否めない。その問いとは

 人はなぜ幽霊を怖がるのか。人はなぜモノマネを見て笑うのか。

 昨晩、音楽仲間であり、よき飲み仲間、よき聞き手でありよき語り手である先輩からのお題がこれである。この話が出てから芋焼酎を飲むスピードが上がった。人は楽しい時、お酒を欲しがるものだ。それこそ心のなせる業なのか。

 ここで僕は一つの仮説を提示した。

 人には補完能力があるから、幽霊にしてもモノマネにしても人それぞれの経験からこれは危ない、これは面白いが補完されて引き出されるのではないか

 これはその場では非常に有力な仮説ではあったものの、完成には至っていないというのが二人の感想であったと思う。腑に落ちはしたものの、まだ何か残留物がある感じだ。

 シンクロニシティという言葉、その考え方を僕は好いている。心のメカニズムを解くことは大きな命題であったものの、ちょっとした行き詰まりを感じていた僕にとってこの話は『渡りに船』であり、心の引っかかりを無視せずにいれば、いずれその解決方法は何かが運んでくれるという楽観的放置主義とまでは言わないが、自分の中に答えがないものをいくら探しても見つからないという自己流問題解決の心得が見事にはまった形になった。

 しかし今まで疑問にも思わなかったが人はなぜ笑うようになったのだろうか。なぜモノマネを見て人は笑うのかを解くためには、まず人はなぜ笑うのかをしっかりと検証する必要がある。これはかなりの労力を要する作業であり、思考による試行では追いつかない量になる。ゆえにここに書き記していくことに決めた。

 物事は単純で『面白いから笑う』それ以上でもそれ以下でもないとしてしまうこともできるが、それでは面白くないと思う僕がいる。このnoteを読んでくれている方にどれだけ面白おかしくそれを伝えられるかも一つのミッションとなる。一石二鳥の命題だ。

 これからここで試行していくテーマはこんな内容になる。
・人はなぜ心を持つようになったのか
  ~人という生物の社会性と心の発達と崩壊
・心の機能――身体と心の関係と心の役割
  ~人間社会への適応に不可欠な機関としての心の役割
・心の解体――心という機能の細分化とその役割と関係性
  ~恐怖、高揚、憤怒、哀愁、悲哀など心の機能的細分化
・人はなぜ笑うのか
  ~笑うのは心なのか。知識と笑い。社会性と笑い
・人はなぜ怖がるのか
  ~怪談話を怖がるメカニズム。超常現象的存在の共通認知
・心と感情と知識の相関図
  ~心の大きさ、広さ、深さ、色合いと知識の関係
・心は鍛えられるのか
  ~恐怖心を抑える力=抑制と笑うという解放
・共通認識と普遍性
  ~多くの人が恐れるもの、笑うものの特徴
・心の言語化と会話の役割
  ~同じ「怖いこと」「面白いこと」に対する表現方法による違い
・幽霊をモノマネすると人は怖がるのか
  ~形態模写という特殊能力

 とこんなところだろうか。読者の中でこんな著書が参考になるとか、こんなサイトが面白いなど、なにか情報があればぜひコメントをお願いしたい。

 ちなみに僕自身、笑うツボが人とは少し違っているという認識があり、同じツボを笑える人を見つけると嬉しくなり、ついつい饒舌になってしまう。そして実はとても怖がりである。幽霊は存在していてもいいが、目の前に現れるのだけはご免こうむりたい。でもだからこそ、僕は怖い話を書く。妄想して怖いと思ったことを文章として送り出すことで少しだけ恐怖心が和らぐ。それを怖いと思ってくれる人が世の中にいてくれるということが救いになるのだと思う。
 そしてこうした現象も心がなせる業なのである。そして好奇心というやっかいな心が僕を突き動かす。あとで聞かなければよかったと思う怖い話をついつい聞いてしまう。なぜだろう。それは論理的に矛盾している。いや、むしろ整合性があるともいえる。なぜなら知らないことほど怖いことはないからだ。未知なるものには期待と恐怖が隣接している。

 そうこころという機能は何かしらと隣接し、リンクし、相互に影響しあうのだと思う。そのあたりをしっかりとここで検証できたのなら、最後の『幽霊をモノマネすると人は怖がるのか』という問題を解決できるかもしれない。

 とはいえ、答えを見つける必要はないとも思っている。謎は謎のまま残すべきなのだ。それは漁師が魚を捕りつくさないように、物書きもネタを使い切りたくはないのだから。


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