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【往復書簡】必然は偶然を装う

『世の中に偶然なんて存在しない』という言葉が、ふと頭をよぎる。中学生の頃だったか。シンクロニシティという言葉と事象を知ったのは。

シンクロニシティ(英語:synchronicity)とは、ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では主に「共時性」と訳され、他にも「同時性」もしくは「同時発生」と訳される場合もある。例えば、虫の知らせのようなもので因果関係がない2つの事象が、類似性と近接性を持つこと。ユングはこれを「非因果的連関の原理」と呼んだ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3

 この往復書簡という試みが、そもそも何かの偶然で始まったのかと言えば、きっとそうではないのだと思う。

\\\往復書簡、やってます///



人の話を聞くのが大好きな”めけ”と”ねる”が、あまり話を聞かずに好きなことをおしゃべりするお手紙マガジンです。

▼前回の手紙

 涙の訳を聞いた訳は、人に道を聞かれるように、人の涙をよく見るめけが、ふとねるはどんなときに涙するのだろうと思ったことなのだけれども。

 ここ数日は、ぼろぼろと泣いている。

 引き金となった出来事はあったのだけれど、心身ともに健やかであれば笑い飛ばせたような気もするので、つまりはそういうことだと思う。

https://note.com/hangloose05/n/n8fc8c4f9c43b?magazine_key=m017fedf22084

 小生には、いや、めけめけと自分をキャラ付けしたときから、どういうわけか人の涙に引き付けられる、或いは人との接し方が人の涙を”引き出す”ような類のものに変化したのか。いずれにしてもそこには偶然ではない何かが存在しているのだと考えている。
 ゆえにこうして【往復書簡】をするようになったねるに対しても、それは起きているのではないか思ったからなのだけれども、だからと言って誰に対してもそれを確認していいかどうかは別なのだろうと思う。

 泣くときの根本は、バグだと思う。

 本来の多くは、笑い飛ばせることだと思う。

 ただ、混乱して、思考が追いつかなくて、処理落ち。

https://note.com/hangloose05/n/n8fc8c4f9c43b?magazine_key=m017fedf22084

 こうした解が得られる相手に対しては、安心して聴ける。人によってはパニックになったり、警戒心が高くなったり、いろいろあるけれども、そうか。なるほど。バグとは実に明快な回答だ。
 自分にも経験がある。なぜ涙が出てしまうのかわからない。何がきっかけであるかはわかるけれども、なぜ嗚咽が止まらないのかわからない。
 ひどく怒ったとき、ひどく怖かった時、そのようなことが起きるけれども、何に怒って何に慄いているのかさっぱりわからないということがある。
 それはまさしくバグであるのだろう。

 こちらが誠心誠意相手に何かを伝えようとしているのに、それを受け止めようともしない態度に怒るまでは理解できる。でもなぜ涙が出るのか。怒鳴ることを抑え過ぎたのか。
 或いは今までに経験したことのない恐れ。相手の黒い部分、闇なのか、悪意なのか、なぜそんなことが言えるのか、できるのか。怖いと思えば逃げればいいのに逃げることもままならず、ただ凌辱されるに任せたあと、それを上司に報告するにあたり、涙が止まらなくなった。意味が分からなかった。

 泣けるときに泣けるのは気持ちの切り替えができる。一本の電話でなんの前触れもなく「もう会えない」と言われた時、受話器を置いた後、U2の「Pride」のカセットテープを爆音で流しながら泣いた19歳の若者は、一つの恋の終わりを受け止めるしかなかった。

 泣ける、泣いてしまうは感情のリセットに必要なことだ。母が亡くなったときも、涙が出ない自分を俯瞰で眺めながら、泣くのは難しいものだと思ったのだけれども、葬儀に集まってくれた母を恩師と仰ぐ若者の悲痛な叫び——なぜ死んじゃったの? と怒りと悲しみに暮れる姿を見た瞬間、涙が止まらなくなった。泣けて良かった。

 でもだからこそ思う。人はなぜ涙を流すのかと。

 すべての事象を理解などできないのだろうけれども、人の流す涙の理由を考えることは、きっと無駄ではない。人の悲しみを知ること、痛みを知ること、寂しさや怒りや恐れを知ることは、自分と自分にかかわるすべての関係性において重要なことなのだと思う。

 一度だけ怒られたことがある。
 涙を流し始めた友人に「涙を流せば、心が落ち着く」と声をかけたとき、「そんなに簡単じゃないのよ。人の涙って」と言われた。怒っていたわけではないけれども、きっと距離感の問題であったのだろうと今はそう思うことにしている。簡単に寄り添うなということなのだろう。確かにそうなのだ。

 簡単ではないからこそ、僕は尋ねられる人には聞いてしまう。涙の訳を。

 さて、ここでいくつかの逸話を紹介しましょう。カフカという人が居ました。彼は作家でしたが、生前は作家として成功せず、食うためにサラリーマン(確か郵便局の保険担当だったかな)をしていましたが、彼自身の評価ではそれもうまくいっていたとは言い難かったようです。
 彼についてはいろいろな書籍が出ておりますが、中でも悲しいのは恋人や婚約者、父にあてた手紙がそのまま紹介されてしまったことです。その中にはこんなものがあります。

「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。」(ラブレターの一節)
「ぼくはいつだって、決してなまけ者ではなかったと思うのですが、何かしようにも、これまではやることがなかったのです。そして、生きがいを感じたことでは、非難され、けなされ、叩きのめされました。どこかに逃げだそうにも、それはぼくにとって、全力を尽くしても、とうてい達成できないことでした。」(父への手紙)
「ぼくは、ぼくの知っている最も痩せた男です。体力はないし、夜寝る前にいつもの軽い体操をすると、たいてい軽く心臓が痛み、腹の筋肉がぴくぴくします。」(婚約者への手紙)

絶望名人カフカの人生論

 なんというか、生きるのが苦手な人であったようですし、とはいえ手紙というのはそれはそれで「書いたまま」がその人の人となりを表しているとは限りません。仲のいい相手だからこそ、へりくだって自分を卑下することで笑いを取ろうとしていたのかもしれませんし、逆にこのままの人だったかもしれません。
 それで言えば僕はきっと生きることが楽しい人であるのと同時に生きることの意味について無駄にあれこれと考えてします傾向にあります。
 正確に自分を分析したいとか、人の心をはかり知りたいとか、そう思いつつも、雑記帳にそれらを記録しては、すぐに次の関心ごとに夢中になる。それでいて過去に興味や疑問に思ったことについて心のどこか、すぐに出せるところにしまっておいて、必要に応じてそれを引っ張り出しては新たな見識をそこに書き足す。そんな生き物なのだと思います。
 決して失敗を恐れないわけではないですが、それで命を取られるものでなしという危うい舵の取り方をしながら、寄り道や道草を愉しむ生き方。

 きっとだからこそ、涙というサインに対して敏感であろうとするのかもしれません。

 冒頭に書いたシンクロニシティを提唱したユングという人はとてもユニークでフロイトよりも好感をもっています。多少オカルトに傾倒もしていますが、そういうところも含めて、僕的に人間臭く、逆にフロイトの学者として成功したいという泥臭さは、できれば敬遠したいと思ってしまいます。

 この二人の人間関係、師弟関係、そして決別するにあたる手紙も広く世に知られることになるのですが、本当にそういうものが公開されてしまうというのは、どうにも気恥ずかしいものなのだろうと思います。

 こうして公開している【往復書簡】なるものは、書いている最中は楽しいのですがいざアップしようとすると、果たしてこれでいいのだろうかとあれこれ思案すること自体が実に滑稽であると同時に愉しくて仕方がないのです。

 いつの日か、めけとねるが今とは違う何者かになることがあるのだとしたら、この【往復書簡】はそれぞれにとってどういう存在になるのだろうか。そんな未来が来るかどうかはともかく、あったら面白いと思ってしまうあたりが、きっと妄想と仮説をごった煮にした僕の作風ということになるのだと思います。そういうことを再発見する意味ではこの【往復書簡】は実に愉しい。

 すべては理(ことわり)の中にある。ゆえに世の中に偶然なんて存在しないと小生はねるの涙の話を拝見して強く思うのでした。
 その理屈で言えば交流会で誰と話すかは偶然ではなく必然、そこに失敗は存在しないと思えるはずなのですが、こう見えてシャイなのですよ。仕事だと思えば割り切れるのですけどね。
 あとはどんな仮面をつけていくか。交流会に参加することが決まったのなら自分のキャラを練り上げていくかなぁ。
 その意味ではライブ配信の経験が生きているのかもしれない。それと相手の来ている服とか身に着けているもので選別するかな。あと身長が自分よりもうんと高い人はきっと避けると思う(笑)

追伸
引っ越しました
近所ですが新しい住み家はまだ落ち着かないですが、やはり人は何年かに1回、引っ越しをしたほうがいいのかも
確か三島由紀夫がこんなことを言ってました。
「定住は悪だ」
そうかもしれないと思います
守りに入るとか淀みとかいろいろとマイナスな面はあるよね
住み慣れるとはいいことばかりでもないのでしょうね

▼今までの手紙まとめ


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