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魔法で動く地下鉄~魔女と少年とカレーライス

 あれはまだコロナが街を息苦しくする前の出来事だった。とある月曜日、僕は魔女の誘いに乗って会社をさぼり、新宿にカレーを食べに行った。

 何を言っているんだとなるのだけれど、それは事実であるから仕方がない。僕にはウィッチとミューズがいる。ミューズはタロットで言えば『節制』となり、ウィッチは『悪魔』の役割をしている。前の夜にウィッチを引いたので酒を飲みに出かけた。明け方近く彼女がおなかがすいたという。その時間にまともに飯が食えるのは松屋くらいしかなかった。まさか彼女がそんなところについてくるとは思わなかったがそのとき限定で復活(だったと思う)していたチキンカレーを一緒に食べた。

 ウィッチにとって初めての松屋でカレーはどうなのだろうかと心配したが思いのほか好評だった。そしてカレーの話になり、彼女のお気に入りの店が新宿にあるのだけれどもいつか一緒に行こうという具体的な話になってきた。

 人生において学校をさぼったのは一度だけ(大学は除く)でもちろん会社をそんな理由で休んだこともなかったが、ウイッチの誘惑に乗っかる形で僕は昼過ぎまで休みをもらいカレーを食べに行くことにした。

 彼女曰く、そこのランチはバイキングで大変人気の店だそうで、並ばずにできるだけ睡眠がとれるよう、何時に行くかというシビアな打ち合わせののち最寄りの駅で待ち合わせをして新宿に向かった。

 その道々、ウィッチとこういう時間を過ごすことになるとは思ってもいなかったので僕は移動時間の過ごし方に少々苦労していた。とある駅で乗り込んできた5歳くらいの少年と母なのか、或いは叔母かと思しき女性の二人組に目が留まった。保護者たるその女性は乗り込むなり少年との会話もそこそこにスマホをいじり始めた。ウィッチもスマホでゲームをしている。それすらも僕には不満どころかその姿を横で見るのが愉しかったのだが……。

 少年は杖らしきものを手にしてなにやら魔法を唱えるようなそぶりをしながら杖を振っていた。とある有名なあの魔法学園の映画が好きなのかなとおもったのだが、その杖はそれらしくもなく、出来の悪いレプリカのようだった。一駅二駅観察していてわかったのだが、どうやら少年は自分の意思で地下鉄のドアの開け閉めをしているという遊びに夢中だったようである。この地下鉄のドアの動きはすべて彼の魔法によって動かされている。そんな世界が4つ離れたシートの上にはあったようだ。

「ねぇ、見てごらん。あの子の魔法でドアが開くよ」
 彼女は少年の様子をまだ少年が通い始めたばかりのピアノ教室の先生のような温かくも注意深い目で観察し、僕に微笑みながらこう言った。
「どうやらこの地下鉄は彼の魔法で動かされているみたいね。私たちがカレーを食べに行けるのも彼のおかげね」

 ウィッチの発想は僕のそれをドア一つから車両全体まで及ぶほどに豊かだった。これだからウィッチにはかなわないなと思いながらも愉しい会話のチャンスをくれたあの少年には感謝するしかない。

 その日会社をさぼって食べたカレーも、たばこが吸える喫茶店でまったりと過ごした時間も、僕にはとても貴重なものであったが、彼女の記憶は薄れつつあっても、あの少年の姿だけはいまだに色あせない。彼は今頃、魔法の力を失って自らの力で人生の扉の一つ一つを開けているのかもしれない。ならばウィッチが僕にかけた魔法はどうなのだろうか。
 そうえいばその日のことを誰にも言わないでとは言われてなかったように記憶しているが、この記事を魔女に見つけられたら僕に気づかれぬように彼女かかけていた魔法が発動しこの記事自体が消えてしまったりするのだろうか。

 そんなことになる前に多くの人に読んでもらえるのであれば、僕は魔法の存在を証明できるかもしれない。

 不思議なことはあるものなのだ。

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