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コロナによって世界はアップデートされるのか

 タイトルに反してアレなんですけどね。世界を語れるほど僕は世界を知らないです。知らずに語ることの愚かさというのはですね、僕自身も他者に対して時に批判的なんです。ですが……

 知らないものは何も語るな

 と言うのは非常に危険な思想というか、それが世の中の風潮になっているときほど危ういことはないのですよ。それは近代の歴史を見れば明らかであり、もっとマクロで言えば勤務先や家庭の中でさえ、それは起こりうることであり、健全な状況ではないということを、まず申し上げたいのです。

 久しくここに記することから離れていたのは、そのことについてもう一度よく考えてみたかったし、“今の世の中”ってやつを僕なりにじっくり観察してみたかったからなのだけれども。

 初めて僕のnoteを読んでくださった方のためにこれまで僕がこのnoteの中で提言していたことを一言で言い表すのであれば、それは“アンチテーゼ”ということになります。
 そして僕はこの提言について戒めでもあり、言い訳でもある僕の思想というか、スタンスをあらわす言葉、“昨日正しかったことが明日も正とは限らない”についても説明をさせていただければ、人は“毎日何かしらの選択をしながら生きている中で、昨日まで正しかった判断基準が明日には変わってしまうかもしれないという今日を生きているんだ”ということを忘れがちであり、ゆえに僕はアンチテーゼを使ってそのことをずっと意識して日々を送るよう勤めているわけです。

 ゆえに、それを最大単位で言い表せば――

世界はアップデートできるのか?

――ということになるのです。

 オーバーシュート、クラスター、ロックアウト……今、世の中はそのような言葉が流行り風邪のように蔓延しています。もちろんこれは本末転倒で、新型コロナ、中国ウイルス、武漢コロナが先であり、お察しの通り今回のテーゼは、パンデミックによって世界はアップデートされるのかという話です。
 いつもどおりのタイトルのつけ方であれば『アンチテーゼ~パンデミックなんていらない』または『アンチテーゼ~新世界なんていらない』になるのでしょうか。どれもダサいので却下しました。


【ダサいの語源】
 語源については諸説あり、西日本で用いられる「どんくさい」が転じたとする説、田舎という単語を「だしゃ」と読み、形容詞化して「だしゃい」と読んだものが転じたとする説、「無駄臭い」が転じたとする説、少年漫画において用いられた台詞が一般的に浸透したとする説、「だって埼玉だから」と蔑視した言葉が簡略化されて「ダサい」になったとする説などがある。ただし、前出の内田宗一は、「いずれの語源説にしても、客観的な裏づけを行っていくことは、資料の面においてかなり困難である。残念ながら、詳細は不明とせざるを得ないのが現状です」としている。(wikiより)

 ダサいとならんでこの言葉とついになる言葉で“ナウい”というのがありましたが、いまや立場が逆転? いや、この場合同化でしょうか。言葉の流行り廃り――すなわちアップデートも面白いものです。

 かっこいいと思っていたもの、新しいと思っていたものが明日にはださいもの、古いものに変わってしまう。言葉ひとつにしてもそうなのですから人の営みの中には当たり前に毎日少しずつ変化をしたり、政治体制の変化、紛争や戦争によってある日を境にガラッと変わることもある――と人は知っているはず、知っていて当然、知らなければいけない。

 そしてこの”知らなければならない”が冒頭で申し上げたエクスキューズにつながるわけです。

 知らない者を蔑む愚を知らない者に対するアンチテーゼこそが、今回のテーマになるということで、さて、ここからが本題です。

 これはなるほどなと思ったことがあって、これは若者が選挙に行かない、政治に関心はないのはなぜかって関連の記事を読み漁っていくと出てくる話なのですが、つまるところ知らない者=若者に対して『そんなことも知らないのか、選挙に行かないのは権利を放棄していることだ、もっと勉強しろ』などという上の世代からの圧力蔑みに対する逃避であるという説です。

 僕が若いころ、音楽に興味があってバンドをやっている先輩たちにはよく、『ビートルズも知らないのか? ストーンズは聴いたのか? ボブ・デュランもわからないのか?』などと説教をされたものです。

 正直に言います。
『糞食らえ!』と思っていました。思いながらも僕は聴いた人なんですが、それでもあの先輩の言葉がなければ、もっと素直に早い時期に聴いていたかもしれないのですけれどね。

 よく知る者からすれば、よく知りもしないのに生意気な事を言うなという感覚があることは、僕もよくよく承知しているつもりですが、これをやられると本当にそれが原因でビートルズが嫌いになってしまうこともあります。

 たとえば三権分立や選挙権、被選挙権、議会制民主主義についてほとんどの人が義務教育において『習っている』にもかかわらず、いざ選挙になると投票率から見えるものは『若者の政治に対する関心のなさ』がやたらと取り沙汰されますが、実はある程度年齢が行った人のほうが先にあげた基本的な仕組みや概念や歴史についてすっかり忘れている場合が多いのではないでしょうか。

 おかしいですよね。ここに疑問を持たない事が。

 ニュース映像でロックアウトの危機が迫っているというのに、若者はなんで町で酒を飲んで遊んでいるんだ。

 けしからん!

 このけしからんという事態も考えてみればウイルスと細菌の違い、生物学的な基礎知識だって、本来は義務教育を受けたばかりの若者のほうがDNAやRNA、細胞膜やミトコンドリアについては覚えているはずなのに、なぜ、行動がそれに伴わないのか。

 ここで日本の教育システムについて苦言を呈するつもりはありません。それはまた別の機会にあるかないかの話として、ここでは知識を有するものがなぜそれを有意義に使えないのかという問題について話したいのですが、ひとつだけ言わせてもらえれば、使い場所のない、或いは使う機会のない知識は埋もれてしまうということです。

 なんだかヤバイ病気が流行っている。豪華客船に人が閉じ込められている。中国が大変。マスクがない。トイレットベーパーもない。食品の棚が空っぽ。ライブハウスがヤバイ。どこにも出かけたくない。

 耳に入り込んでくるニュースから、もうなんだかヤバイだろうってことで完全防御です。貝になります。ヤドカリでもダンゴムシでもかまいませんが。

 さて、するとインフルエンザの年間死亡者数や交通事故や自殺による死亡数との比較であったり、世界各国の医療体制や検査検疫、道路を封鎖している映像と一緒に知る者が知らない者に対して、こんなことも知らないのかという風が吹き始めます。

 震災における買占めの経験、歴史的な疫病の顛末、政治や経済からみたあるべき論や陰謀論。そして転売にイベントの中止にライブハウスでの感染の疑い。日に日に拡大する世界の被害、そしてオリンピックの延期。

 経済活動を止めてはウイルスで志望するよりも食えなくなって死んでしまう人のほうが多くなるのではないか。若者は重症化しないのでは。クラスター、パンデミックにテレワーク。そして『お肉券』に『お魚券』、消費税をどうするか。経済対策に都知事からの不要不急の外出の禁止要請。

 こうして列挙してみるとこの数ヶ月で世の中がまるて違うことになってしまっていて変化に対応することが困難な状況であるにもかかわらず、よくよく考えてみるとパニックにはなっていないのが不思議なくらいです。

 平成から令和に変わって、まだ一年たっていない今日、この日に令和になって悪いことばかりおきているんじゃないだろうかと振り返ることすら忘れるレベル。

 敵が――もちろんその対象は新型のやっかいなウイルスなんですが、それがどんなものかわからないうちには、過剰に反応してパニックを起こす愚を起こすことなく、世の中はコントロールされます。されるのです。それができるようになったことが、人類の叡智なのですよ。

 そして敵の正体がいよいよわかってきたのならば、それに対応してやるべきことをやる。それが今回の東京都知事の判断であり、専門家がそうすべきとするだけの研究の成果であり、現時点での最適解なのであるから、強制されずとも自主的にそれを実行に移そうというのは、困っている人に手を差し伸べる以上に、実は重要なこと。

 自分をコントロールすることで、世界はコントロールされる。これもまた真なのです。


 究極的にはジョン・レノンの『イマジン』にあるように想像したことを実行することで世の中は変わる。
 戦争・紛争はまだ、やめられないのだとしても、まだ死病の原因がウイルスという人の細胞よりもずっと小さく、エンベローブという幕に覆われたたんぱく質であるカプシドに核酸しかもたない、光学顕微鏡で見ることのできない小さな、小さな物質によって引き起こされていることがわからない時代に生きていた人々とボクらはちがうのです。
 その当時、人々はそれを悪魔や魔女のせいだと恐れました。知らないが故のパニック状態です。
 しかしそれに対し、まじないや祈祷や生贄によって対処することによって人心をパニックから救おうと創意工夫をしたのです。つまり誰かがコントロールをしようとし、人々は自らをコントロールすることで、世界をコントロールしたのです。

 中国は悪魔の国でもなければ、魔女がほうきにまたがって空を飛ぶ国ではない。それ、むしろ日本のほうがバレーボールをやっている東洋の魔女や宅配をやっている魔女がいますからね。

 全世界的にこの病にどう立ち向かうべきか真剣に考え、その国の環境や事情にあった対策を練って実行しています。そこには多くの誰かの労力によってなされ、多くの犠牲の上に成り立っています。

 そして中国発というこの厄介な病に対するにやはり、中国発祥の『孫子の兵法』を用いて対応するのが、僕はいいと思うのですがどうでしょうかね?

 人の世は急速に狭くなり、このような思想や概念をより共有しやすくなっているわけで、イマジン+孫子の兵法で世界をアップデートできないものかと思うのですが、まぁ、それができなきゃ人類は滅びるんだろうなと僕は選挙に行かない若者の気分で世界を見ることがあります。

 敵を侮るなかれ、敵を畏れるなかれ、事実に目をむけ、やれることをやるべし。それをなさないこと、これすなわち愚であり、それを知る者が知らざる者を軽んじることは、結果的に己が一族を滅ぼす可能性を想像できさえすれば、おのずと道は見えてくる。

 必要なことは弾劾ではなく、理を説くこと、そして心に染み込ませる事、本当の意味での説教なんですけどね。

 本当にダサいことって何なのか。

 それがわかれば、世界は大きなものにコントロールされるだけではなく、小さきものからコントロールすることもできるのだ想像し、信じて、事実を見て行動を起こせると思うのです。

 奪い合えば足りなくなる。
 分け合えば余裕ができる。

 でも、そんなこといっているやつは食いっぱぐれる

 このループを断ち切るために人は宗教やイデオロギーや掟を作るがしかし、それによって出来上がった集団もまた争いの種になる。

 人類滅亡とかいうイメージの源っていうのはそのあたりにあるのではないでしょうかね。で、この考えを進めていくと、人類は一度滅亡を経験している記憶をその遺伝子に宿しているのではないだろうか?

 さて、これから世の中の風はどこに向かって吹いていくんでしょうかね。

 答えは風に吹かれている?

 風邪だけに……そうそう、人類最初のパンデミック=スペイン風邪による死亡者のピークは,1918年11月と1920年1月の2回あったのですよ。

 もし一旦収束したからと言って、それで終わりとは限らないし、オリンピックが2回目の流行の引き金になる可能性を否定できないのではないかと考えたり、想像するまではするべきなんだろうけれど、今は目の前の事実に立ち向かうことが肝要であり、これを機に世界規模のパンデミックが起きた際の対処方法、意思決定手順、法令化が進めば、世界はシステム的にアップデートされ、その中で人の認知力もアップデートされ、世界は次の来るべきAI時代へステップを進めるのではなかろうかなと、僕は考えます。

 だがしかし、希望ある未来を共有できなければ、人類は滅亡するだろう。


 うん、結局僕の思考は、そっちに向かってしまいますね。意地悪だから。

 つまり結論は、希望ある未来を共有するためにもっとも邪魔なことは”知らない者を蔑む愚を知らないこと”となるわけです。

 蔑むのでもなく、放置するのでのなく、何ができるのかを考え、行動できれば、世の中はアップデートできるのだという説を、僕は信じたい。


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