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アンチテーゼ~話し相手なんていらない

「結論から言うと、人と話をしていないのがストレスなんですよ」

 彼との付き合いは、前の会社からだからかれこれ20年近く経つ。そしてその会社がなくなったあとでも、交友は―いや、“親交は”が適切か。友達づきあいではない――いまだに続いている。

『めけラヂオ』というライブ配信番組を二人でやり始めて丸9年が経ち、僕としては10年でやめようと去年くらいから非公式ながら話をしているのだけれども、誰かとプライベートで一つのことを十年近くやった経験は今までない。

 それを『仲がいい』などと簡単には片付かないことを、あえて申し上げる必要もないのかもしれないけれど、毎週、配信という場で会話をしていることを除けば、実はこの二人はさほど交流はなく、近所なのでたまに飯を食いに行くことはあっても、番組内で応援しているインディーズアーチストのライブを見に行く以外のことで、一緒に行動したことは片手であまるレベルの回数しかない。

 彼は今、いわゆるテレワークをしているのだけれども、家にこもってずっと仕事をしていることが、かなりストレスになっているということは言動や行動から察しがついていた。

 なのでこちらから声をかけるくらいの気の使い方はしていたのだけれども、それでは足りないくらいに彼はストレスフルな生活を余儀なくされている。――いや、非所事態宣言とかそういうこととは関係なしに、彼は常にストレスフルであり、それに逆らうように非社会的行為をたまにするのである。

『非社会的行為』と言ってしまうとすぐに暴力的、破壊的な犯罪行為を思い浮かべてしまうかもしれないが、彼の『非社会的行為』とは、会社に遅刻するとか、同僚や上司とそりが合わずに不貞腐れた態度をとるとか、好意を寄せてくれたり、気を使ったくれたりする人に悪ぶって見せたり、嘯いてみせたりという、どこにでもあるような、些細でチープな行為である。

 彼から連絡が来たのはもう8時になろうかという時間だったので、今のご時勢、やっている店なんぞあるのだろうかと町の中を徘徊する。
 ほとんどの店が右に倣え、或いは真面目に、或いは不本意ながら8時で店を閉めている中に、彼と同じように『非社会的行為』というべきか、『救済』というべきか、やっている店を見つける。

 案の定、そこにはボクらのようにオアシスを求める砂漠の旅人のような海賊たちがテーブルに固まっている。そんな彼らと距離を置き、入り口近くの換気のいい場所に陣を張り、さて、彼のストレスフルな日常の話を利くことにした。

 聞けば聞くほど、どうということはない話に対して『お前には日常も非日常も区別なく、不満を抱えている』という趣旨の言葉をやんわりと、皮肉をこめて笑い話にするくらいしか、欲しくもなく、うまくもなく、どこか後ろめたさを味わうようなこの時間の過ごし方を僕は知らなかった。

 僕は彼に囁く。

「大体、こうやって時間を守らずにやっている店というのはあるんだが、世の中っていうのは、それを許さないように仕組みができているんだぜ。彼らには彼らの理屈があって、或いは正義感や責任感を持って店を営業しているかもしれないが、時間を守って閉めているほかの店の連中からすれば、許しがたい行為には違いない。ともすれば、刺されるかもしれないし、こうしてそんな店に出入りしている俺たちだって、いつ指差されて『この人たち、規則違反です』と風紀委員にチクられるかもしれない。まさに魔女狩りさ」

 彼は彼なりに常識人だが、ところどころ世の中のことに疎い。鈍いのではなく、あえて疎い生き方をしている節がある。つまり郷に従うことを良しとせず、そういう情報を視野ではなく、脳内で無視する帰来がある。

 だから僕はいつもこうやって彼に囁く。

 見ていないようで、周りは結構、こっちの動向をチェックしているんだぜと、そして非日常だろうが日常だろうが、見ている奴は見ているし、言うやつは言う。さらに言えば、お前さんはそれが一番気に入らないので、いつもイライラしているんだと。

 自分が年上であり、前の会社でも先輩であり、部署は違えど上司ではあったので、その関係性は今でも続いている。僕はいつも先輩面をして、彼に囁く。面と向かってまっすぐ話すのではなく、囁くのがいい。

 人それぞれに聞く耳というものがあって、彼の耳は正面からは聞こえない耳なのは、長い付き合いなのでよくわかっているつもりだ。そしてそれを理解しない人たちから、まっすぐ言われたりすると拗ねてしまうところが、まったくもって、可愛げがない。

 それに輪をかけて可愛げがないのが自分であるのだから、人のことはまるで言えた立場ではないのだけれども。

 さて、ここからが本題。

 僕自身、どちらかといえば不要不急とは真逆の職をしているだけに、新型コロナウイルスとの付き合い方はとてもデリケートであり、同時に気にしすぎたら、彼以上にストレスフルな日常になってしまうので、そこはいなすなり、かわすなり、隠れるなりをしながらやり過ごしている。

 やり過ごしながらも、見逃せないようなことにはときどき大きな声で怒ることがある。昔は条件反射的にそれをやってしまうこともあったが、今では意図的に、計画的に、効果的に、それができるように気を使っている。

 こんなご時勢に自分の置かれている状況や自分に関わる人の立場をわきまえずに三密の禁を犯してまで、夜の街を出歩くこと、そしてそのことを知らせる必要もない時と場所で公言することの危うさに、苦言を呈する。

 こっちはこっちでこうして危ない橋を必要に応じて渡らなきゃならんし、今回のケース、僕は彼の誘いを『こんなご時勢だからやめよう』と断ることのほうが正しいのはわかっている。わかっていても、こうして囁くことをしなければ、彼には伝わらないと思えば、僕の天秤は自粛よりも行動に出たほうが、今後のためになると判断し、彼に夜の街の状況とそこから溢れた人の行き場所、そしてこの場所がどれだけ危ういのかを教えなければ、この先に彼がよりストレスフルな状況に陥ることを見逃すわけには行かないのである。

 それは友情でも親交でもなく、仲間であるから。

 正義感でも、犠牲心でも義侠心でもなく、単なるおせっかい、そして好奇心なのである。彼の言動や行動は僕のそれとはまるで違う。ついこの前まで炭水化物を抜いてダイエットをしたがうまくいかない、痩せなきゃと言っていたのに、彼は体重を増やしたいと言ってのけたのである。

 は?

 よくよく話を聞くと、筋肉をつけてウエートをアップしたいのだそうだ。つまり彼の中ではダイエットと筋肉量のアップはそれぞれ別のカテゴリーとしてやりたいことなのだけれども、それが相反するということに彼自身が気づいていないわけではないのだが、彼が言いたいこと、彼がやりたいと思っていることは、『言わずともわかるだろう』というような『共通理解の誤認と説明能力及びそれをしようという丁寧さの欠如』は、長い付き合いの自分でさえ、目の前でやられると腹を立てるか、腹を抱えて笑うかのどちらかしかないのである。

 それは友情でも親交でもなく、好奇心或いは仲間を大切にしたいという気持ちなんだと思う。

 今回の件で、彼が言っていた『人と話をしていないことのストレス』を鑑みるならば、少なくともこの一週間、WEB会議や配信で会話を2回以上、合計6時間以上しているのだが、僕は彼にとって人ではないらしい。

 ひとでなし

 ということなのだろうか?

 それは、それで、つまらない疑問と、普段から誰とでも話をするタイプではなかろうに、いまさら人恋しいとは片腹痛いと、楽しくなるのである。

 思うに、話し相手が欲しかったのではなく、僕にボヤキたかっただけなのだろう。

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