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高校1年 一学期

私は娘が学校に行かなくなった時、他の学校へ行かなくなった子たちはその後どうなっていくのか、中学は行けなくなったけど、高校へは行ったとかを聞くと、そーか、そーかと安心していました。しかしうちの場合はそんなふうにいい感じにはいきませんでした。

娘っ子は高1の6月まで休まず登校。しかし、電車で登校できず、パパの車登校でした。それでも友達はでき、学校も楽しいとと行っていましたが、常に不安定でした。そして、1回めの中間テストでは好成績だったにも関わらず、6月半ばからパタっと休み、そこから行けませんでした。高校を始めて休んだ日の朝、「もうがんばれない、がんばれないの。」と娘は泣きながら言いました。「いままでよくがんばったよ。がんばってたの、わかってる。もういいよー。十分だよ。」って私も泣きながら言いました。

それでも、やっぱり学校には行ってほしくて、6月半ばから7月末まで、毎朝「行く?行かない?」の色々があり、
親子共に精神状態は最悪でした。娘も私も、いっぱいいっぱいでした。

そして7月入ってすぐ期末テストになり、もちろん1日も行けず、一学期は終了。通っていた高校は、夏休みは2週間しかなく、夏休みにある学校の夏期特訓に行けませんでした。
私から、「二学期の授業料を9月に払うから、学校行けるなら、払うけど行けないならもう通信に変わろう。あ、働くって選択肢もあるよ。」と言いました。

夏休みが終わって、始業式に行けず、部屋の中から、「もう高校いけない。でも大学には行きたいから、通信に行く」と娘の声が聞こえてきた時は、「そっかー、オッケー」と明るく返しましたが、
私は涙が止まらず、それを全部黙って見ていた弟たちも辛かったと思います。

通信制高校への転学届けなどをもらいに高校へ行くのも私一人で行きました。帰り道では涙が止まらず、駅のカフェで1時間ぐらい泣けるだけ泣いてから、家に帰りました。

今でもあの時すぐに私が「通信に変わろう」って言ってなかったら
もしかしたら、まだ高校行けてたのかな?って制服を着ている子を見る度に思います。でも早めに通信に変わることで、今日も学校へ行けなかったという苦しみから、娘も解放されたのではないかと思いたいです。

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