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ラーメン屋である僕たちの物語2nd ③

「The Long And Winding Road」








運命は決断の瞬間に形作られる


つまり


あなたの運命は


決断の積み重ねで作られているのだ



〜アンソニー・ロビンズ〜





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善行の家 11月




事故から2週間が経った。


外は冷たい木枯らしが吹き抜けていたが、正午の日の光がたっぷり注ぐ僕の部屋は、汗ばむくらい暖かかった。



あれから僕は自宅療養と通院によるリハビリだけの生活になり、突然手元にやってきた膨大な時間を持て余していた。


ギターを弾くにも手が痛いし、バイクいじりするにも『チョビ』はいないし、愛犬と遊ぶか読書か映画かジャンプかプレイステーションくらいしか時間を潰す方法がなかった。


それも1週間もするとすっかり飽きてしまった。



『チョビ』は衝突の衝撃で、その車体がひしゃげてしまった。



「もう真っ当に走れる車体じゃない」



修理の見積もりをお願いしたエンジニアに言われた。

SR400/500は車体のフレーム自体の中をエンジンオイルが走っている。


破損したのはフレームだけではなかったが、他のバイクとは違い、単なる「構造」ではないフレームが破損することは、致命的だった。


それくらいの衝突だったのだ。

僕は泣く泣く『チョビ』を廃車にする決断を下した。



一方、僕の方はと言えば、あれだけの事故に対して大きな外傷もなくリハビリも順調に進んでいた。

正直、首のムチウチ、手足と背中の打撲だけで済んだのは奇跡だった。


その程度の怪我で済んだ要因は、あの朝、面倒くさがってダウンジャケットを着て、グローブをしていたこと。

そして、バックパックを背負っていたことが大きかった。
(当時はカリマーが大好きだった)


そのバックパックがクッションになり、背中から叩きつけられた事故の衝撃を和らげてくれたのだろう。

足は、その日履いていたDANNERのブーツが事故の衝撃でバックリと切れていたが、出血もなく打撲で済んだ。


両手もグローブのおかげで小さな擦り傷こそあったが、打撲程度で済んだ。

首のムチウチも軽いもので、その後遺症もなかった。

『あの日、バックパックを背負わず、グローブをせず、スニーカーで走っていたらどうなっていただろう』

手足は裂傷にまみれ、背中を打った衝撃で息ができない中、意識を失っていたら…



考えただけでゾッとする。



ふと、めじろ修行時代に親父に言われた言葉を思い出した。



『お前がバイクに乗り始めてから
いつお前が死んでも
おれは覚悟はできている』




僕が子供の頃、親父もバイクに乗っていた。

親父のはこんなバイクだったかな。
祐貴を前に僕を後ろに乗せて走ってくれたことを
覚えている。道交法違反です笑



事故の怖さはよく知っていたのだろう。


だから、あの程度の怪我で済んだのは、まさに不幸中の幸いだった。




僕は運に守られたのだ




重なった偶然が、僕を生かしてくれたのだ。

しかし、振り返れば不思議なこともあった。


バックパックの〈中に〉入れておいた、お守りの紐が千切れていたのだ。

事故の衝撃で千切れたと考えるしかないが、それにしても妙な千切れ方だった。

お守りが僕の身代わりになってくれたのかもしれないと強く思った。

(当時よく聞いていたBUMP OF CHICKENのアルバム「ユグドラシル」のCDも真っ二つになっていたけど)


そのお守りは後日、感謝の念を込めて神社に奉納させていただいた。

この事故以来、僕はバッグにお守りを忍ばせるようにしている。





「はぁ〜あ…」


暇つぶしにもすっかり飽きてしまった僕は、ベッドに横になり、天井を見つめた。



突然与えられた退屈の中で、改めてお店のことや、お客さんのことを考える時間が生まれた。

これまでの様々な困難、反省と感謝など、沢山の想いが溢れてきた。

そして改めて、僕は多くの人のお世話になってきたことを実感する。

全て自分の力などではなかった。

一緒に働くスタッフや家族、お客さん、神様に救われてきたのだ。 






お客さん…




お客さんと言えば、皆さんどうしているだろうか。


僕は目を瞑って、一人一人の顔を思い出してみた…






…いつもピリ辛味噌ラーメンの白髪ネギ抜き注文をする鎌倉美人さん。


…いつも仲良くご来店くださる年配のご夫婦。


…仕事終わりに必ずビールを飲んでからラーメンを食べて、仕事の愚痴をこぼしていくU家さん。


…やり手のパチンコ経営ママさんH山さん。


…小町通の靴屋さんのY口さん。


…世界的板画家の鈴木英人さん。


直接ご本人からいただいた板画


お酒とラーメンが好きな気さくなおじさんです


…めじろ修行時代から僕を見守ってくれているBさん


沢山のお客さんの顔が浮かんできた。


そしてみんな笑顔だった。



「みんなの顔が見たいな…」


開店当初の、お客さんに顔も合わせられないような日々から想像もつかないが、初めてそんな風に思えるようになっていた。




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–数日後–




「Tっさん!久しぶり!」



「久しぶりです。思ったより元気そうですな!」


リハビリも順調に進み、この後は週一度の定休日に通院すれば良いと医者に言われたので、僕たちは営業再開に向けてラーメンの仕込みをしに、正午前にひなどりに集まった。


鎌倉は昨年と同様に、秋の行楽シーズンに突入し、観光客で賑わいを見せている。


事故によりすっかり商機を逃してしまった。




































Tっさんが店のシャッターに書いておいてくれた張り紙を剥がし、(実際は自宅療養だったが、便宜上「入院」としていた)未だ少しだけ残る背中の痛みを庇いながら、シャッターをゆっくりと上げていると…





『こんにちは』





振り返ると、いつも仲良くいらっしゃる年配のご夫婦が声をかけてくれていた。
(この時、初めてお話しさせていただいた)



「あ、こんにちは!すいません、しばらく休んでしまいまして!」



僕は申し訳なさそうに挨拶を返した。


『お身体は大丈夫なの?主人とも心配していたのよ』


「ご心配おかけしてすいません。もう大丈夫です!明後日の営業再開に向けて今日から仕込みに入るところです」



『そう…。実はね、私たち、孫を交通事故で亡くしてるから気が気じゃなくて。ちょうどあなたくらいの歳の孫だったから…』


『元気そうで安心したわ。またラーメンいただきに来るわね。お大事にしてくださいね』



「あ、ありがとうございます!」



お互い会釈をして、僕たちはご夫婦を見送った。


言葉にできない感情が僕の胸を締め付ける。


こんな僕のことを気にかけてくれるお客さんがいたという驚きと喜びなのか。



それともご夫婦の人生の悲しい一頁を知ってしまった罪悪感と、そんな大切な話をしてくれた嬉しさなのか。


いずれにせよ、相反する感情に支配されて、僕はしばらく動けなかった。




「店長、頑張らないとですな」



Tっさんが肩越しに声をかけてくれた。






「そうだね。ありがたいね。頑張らなきゃね」



僕はご夫婦の背中を見届けると、振り返って店の鍵を開けて扉を引いた。







さあ!



ラーメンの仕込みを始めよう!







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善行の家

ひなどり営業再開より数日後




「芳実、ちょっと話したいことがあるの」



お袋が神妙な面持ちで言った。





「おかあさん、仕事やめようと思うの」










「麺やbar渦」は、母のこの決断から始まる。






僕と母の歯車が、小さな音を立てて動き出そうとしていた。






to be continued➡︎


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