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マクロの視点とミクロの視点。自分がやりたいこと

昨日ととある企業でメンタルケア業務を行なっている方とお話する機会がありました。

メンタルケア的な仕組みが何もなかった会社において0から仕組みを作り上げたその方は、自分のやり方を非常に誇らしく感じているようで、自らの立ち上げたモデルについて色々と教えてくださいました。

新たに生まれたその仕組みで、従来だったら見出されずに放置されていたであろうメンタル不調予備軍が見つかってきているということで、非常に価値のある取り組みと感じました。


しかし一方で、私はその方のアプローチにどうしても違和感を覚えてしまいました。

例えば一人にかけられる時間は限られているので、相談に来た人が一方的に話し続けるような状況だった場合は、相手の話を遮って話を止めて「結局こういうこと?」とまとめるようにしているという点。
例えば心配しているということを伝えるためのセリフはテンプレート化し、機会的に声がけできる仕組みにしているという点。

これらのアプローチが、本当の意味で相手を1人の人間として認め、寄り添っているようには感じられなかったのです。

その方が担っているミッションは所属企業においてより多くの不調者(もしくは予備軍)を見つけ、重症化を防ぐこと。
そして数百人の社員がいる会社に対して少数のスタッフで最大の効果を上げるためには、効率性を重視することは当然のこと。
目的達成のためには最良のアプローチということも理解します。

しかしそのやり方をどうしても好きと思えない自分は、おそらくマクロ的な観点よりも、もっとミクロ的な観点で一人一人の人生にもっと寄り添いたいのだろうと気付かされました。
非常に良い気づきを与えられた1日だったと感じます。

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