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平成最後を多用するメディアと人

”平成最後の~”
この言葉を飽きるほど、聞いたのではないだろうか。
多くの人やメディアが「平成最後、平成最後」と言い散らかす。
この言葉に人々の心理が隠されている気がした。

現在を生きていない証拠

平成最後を(ネタ以外で)口にする人ほど、毎日を大切に生きていない。
平成最後の~と、その事象に特別な意味を持たさないと気が済まない。
おそらく、令和になれば「令和最初の~」とでも言い出すだろう。

私は平成最後の~と口にしたことはないが、平成最後だろうが何だろうが、
その日その日は、その一日しかなく「平成最後の1日も、令和最初の1日も、その価値は変わらない」という価値観に基づいている。

平成最後の~を多用する人ほど、1日の価値を考えずに生きているため、平成最後と言うことで特別な出来事だと実感したいのだろう。

その生きている毎日が特別な出来事であるはずなのに。

令和を予測したがる人々

「令和はどんな時代になると思いますか?」
無能なメディアがニュースでよく街中を歩く人に聞いている。
そんなもの誰もわかるはずがないのに、だ。

これはこれで当然で、メディアはネタがあればいい、視聴率が取れればいいので、トピックの内容に意味などない。
だが、これを本気で考える人は時間の無駄でしかない。
そもそも何において、がない。テーマがない時点で予測することが無意味だと当の本人は気づかない。哲学者や社会学者ならいいかもしれないけれど。

あとは、「希少性の原理」とかそこらへんの社会心理学的用語は色々含まれていそうだけど、
平成最後とか言ってないで、毎日が、その1日は最後なんだっていう認識を持つことこそが大切なのだと思うんだ。


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