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『ブリーフセラピーの再創造』ジョン・L・ウォルター他

ブックカバーチャレンジ6日目
『ブリーフセラピーの再創造』ジョン・L・ウォルター ジェーン・E・ペラー 金剛出版

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ブックカバーチャレンジは読書文化の普及という目的があるそうなので、極力、多くの人が読んで楽しめて、有意義でありそうな本を紹介するように心がけてきた。

だが、前回の5日目『精神の生態学』グレゴリー・ベイトソンあたりから、徐々に自分の趣味に偏った一般受けはしにくい本を紹介し始めた。どうしてもぼくの興味は心理療法という営みの背後にあるロジックに向かうため、心理療法系の本が多くなってしまうのだ。世間一般の人が面白い本だ、いい本だと感じるものと、自分がそう感じるものがずれてきてしまう。一般受けする本のネタが尽きてきたというのもあるし、何よりも一般受けはしないかもしれないけど、自分が大好きな本を人に紹介したいという欲望が抑えられくなってきた。そういうわけで、今回と次回は自分の趣味に走ったチョイスをしていきたい。

『ブリーフセラピーの再創造』について広く一般の人に向けて語るためには、ブリーフセラピーという耳慣れない言葉の説明をする必要があるだろう。ブリーフセラピーとは心理療法の一つの流派だ。ブリーフ(brief)とは「簡単な」という意味で、年単位で時間がかかるとされていた従来の心理療法に比べて、短期間でセラピーを完結させる。

ぼくはミルトン・エリクソンという精神科医による心理療法、催眠療法技術を中心にあれこれ学んでいるわけだが、このエリクソンの弟子筋にあたるヘイリー、オハンロン、シェイザーといった複数の人間がこのブリーフセラピー形成の流れを作っていった。もともとはエリクソンがたった一回限りの介入でクライアントに変化を与えたりしていて、弟子たちがそれを可能にするポイントをなんとか抽出してまとめあげようとしたのがブリーフセラピーである。

ブリーフセラピーの大半は「解決志向アプローチ」と呼ばれる方向性を持つ。

クライアントがある問題を抱えるとき、その問題が起きている原因を特定し、原因にアクセスして問題解決を試みるのがフロイトから始まる精神分析的なやり方である。

一方、解決志向アプローチにおいては原因自体を直接扱うことは脇に置いておく。そして、クライアントにとって「何がどうなったら一番良い状態、解決と言えるのか?」ということを質問し、クライアントとセラピストの間で共有する。これを「解決像」などと呼んだりするのだが、この解決像がクライアントにとってのゴールであるならば、最初からゴールに目を向けて、そこに向かって動くことを考える方が話が早いでしょうと考える。まあ、実際に問題の原因にアプローチするよりも手っ取り早く問題解決することが多い。

もちろん、従来の問題の原因にアクセスする側からは「ブリーフセラピーの連中は、対症療法をしているだけであって、問題の根本原因は解決していない。あんなものはうわべだけの片手落ちである」という批判もある。

それも一理あるのかもしれないが、解決志向アプローチを支持するぼくからすれば、対症療法であろうがなんであろうが、日常生活で困っていたことが困らなくなれば、それはそれで十分ではないか。そもそも、人の内心をなるべく大きくいじらず、変化させないで外の世界に適応させてやった方が、クライアントの負担も少ないし良いであろう。手術の傷口や切り取る範囲はなるべく小さい方がいいのと同じだ。そんな風に思ってしまう。

前置きはここまで。ようやくここから本の紹介に入る。この本もブリーフセラピー、解決志向アプローチの一派に属する。ただ、従来のオーソドックスな解決志向アプローチにとどまらず、そこで一ひねりきいている。このひねり方が素晴らしく良いのだ。どんなふうにひねられているのか?

ここでポストモダン・アプローチ、ナラティブセラピーの要素がいい具合に取り入れられる。ポストモダンとかナラティブとかって何?って話になるわけだが、この本の中で取り入れられている要素だけを抽出するならば、セラピストとクライアントの権力関係や知識の差を作らないようにし、なるべく対等な立場で開かれた対話をするということだ。

精神科医と精神の不調を訴える患者が対峙するとき、しばしば、「冷静かつ客観的で知性があり、どのようにすれば問題が解決するのかの答えを知っている医者」が、「感情的かつ主観的で無知な患者」に「教えを垂れる」構図が生まれる。

だが、この本ではそのような権力差を前提とした構図を否定する。クライアントにはクライアントにしかわからないことがある。セラピストは心を開き、そのクライアントにしかわからないことに純粋に開かれた興味を向ける。セラピストが最初から想定しているゴールに話を持って行くために質問を駆使するわけではない。セラピストもクライアントも両者の対話がどういう方向に転がるのかは、ふたを開けてみないとわからない。そういった「無知の知」をベースにクライアントの語る「願い」にセラピストは耳を傾ける。

めんたねやメディカルダイアローグなどで、ぼくがやっている質問ワークを体験したことがある人なら、あれ?と思うのではないだろうか。質問ワーク内では「願い」ではなく「望み」という言葉をあてられているが、行われていることは全く同じである。そう。この本は質問ワークの元ネタなのだ。「望みの山登り」「他者視点の導入」など質問ワーク内で多用される各種技術も言葉遣いは異なれど、この本にその原形となるアイデアがつめこまれている。ぼくが自分なりの対話の仕方を模索していた頃、ちょうどこの本が出版され(2005年)、偶然手にしたぼくは「これだ!」と小躍りしたのだった。

正直、一般の人にお勧めする気持ちはあまりない。

というのも、第1章から第4章までの理論的な話は、それまでのブリーフセラピーの歴史的経緯やらブリーフセラピーに読み込まれている各種前提やらの知識がないと非常に読みにくいからだ。

なんとも抽象的な話が、難解かつキラキラとした言葉で語られているようなイメージである。ポストモダン、ナラティブ界隈の言葉遣いや雰囲気は妙にキラキラしていて、ぼくはあまり好きではない。なんなんだろうね、あのキラキラ感。

でも、この本にはそこを我慢してもあまりある恩恵がある。決して読みやすくはない。心理療法に関する予備知識がある人には「ああ、そういことを言ってるのね」と納得できるのだけど。

第5章以降は具体的な対話の技術の紹介となる。実際にセラピストとクライアントの対話例をたくさん出しながら、その技術の使い方と有効性を説明していく。これもまた、心理療法業界の外にいる人からするととっつきにくい。「マリファナをやめたい」なんていうクライアントとセラピストの対話をまじめに読めるのは、そういった対人援助スキルに興味がある人間だけである。普通の人は「自分とは関係のないどうでもいい話」と思ってしまい、興味が続かない。

でも、対人援助スキルとしての対話というものに興味がある人にとって、そして、実際にそういったやりとりを過去に積んできた経験がある人にとって、この対話例と技法の解説は宝の山に変わる。実際の心理療法の逐語録を読んでいるわけなので、「そうか、こんな風に話を進めることもできるな」「ここでこんな対応をしてみることもありなのか」など刺激は尽きない。

ぼくは、実際にこの本で読んだスキルを色々と試してみたいと思い、一般向けのワークショップや個人相談をはじめた。心理療法という狭い世界に限らず、もっと広く一般的に使えるような形で「質問ワーク」として整理しなおして、それが、今、ワークショップで伝えるメインコンテンツになっている。そんなわけで、この本がなければ、一般向けのワークショップを行うめんたねという今の形態は存在しなかったかもしれない。

心理療法や対人援助的な対話スキルについてマニア的な興味を持っている人にとっては、外せない一冊なのである。

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