見出し画像

『責任という虚構』小坂井敏晶

ブックカバーチャレンジ 4日目
『責任という虚構』小坂井敏晶 東京大学出版会

画像1

著者の小坂井先生はフランス、パリ第八大学心理学部の准教授だ。昨年、東大の入試問題で小坂井先生の『神の亡霊』が取り上げられて話題になっていた。かねてから、小坂井先生の著作のすごさ、素晴らしさを喧伝してまわっていたぼくとしては、ようやく時代が追い付いてきたように感じ、とてもうれしい。

小坂井先生の著作の中でもこの『責任という虚構』は原点とでもいうべき代表的なものだ。

彼は、責任という概念は何なのかを論理立てて順に解き明かしていく。ここに「人間や責任はどうあるべきか?」という規範的な視点からの主張はない。「人間や責任はどうであるか?」という記述的態度が貫かれる。

序章において、彼は大脳生理学と社会心理学の立場から、「人間は自由意思を持ち、自律的な自己決定を行っている」という常識を否定する。

そして、以後、

自由意思不在状況において、責任とはいったい何なのか?
どのように成立するのか?
責任はなんのために存在しているのか?

という論点について、数多くの具体例を示しながら議論を展開する。

一般に責任概念は、自由意思による選択と不可分であり、それを抜きにした責任概念というのはかなり奇妙なものに見える。

人間を轢いたドライバーがその責任を問われるのは、人を轢かないような選択をすることができたはずなのに、そうせずに轢いた、つまり自由意思による選択の結果、人を轢いたからだ。もし、ドライバーがどうやっても人を轢くようにしか運転できないのであれば、そして、運転しないことも選べなかったのであれば、そこに責任を問うということは無意味に思える。

でも、小坂井先生は、自由意思による選択、自己決定という我々の常識自体をまずは否定し、そこから話をはじめるのである。もうこれだけで痺れる。

「責任という概念は虚構であり、それを支える何の根拠もないものではあるが、それでも我々はその虚構を必要とし、社会はその虚構に基づいて動く」

これが全体を通しての主張である。

その結論に至る様は本当にスリリングで、ワクワク、ドキドキする。ぼくは本を読むのが遅い人間なので、一冊の本を何日もにわけて、だらだらと読むことがほとんどなのだが、この本だけは読み始めたら途中でやめることができず、徹夜して一晩で一気に読んでしまった。


これだけの説明では、この本の素晴らしさを伝えられないと思われるので、以下、簡単な流れを説明しておこう。

第1章ではホロコーストはなぜ起きたのか?その原因はどこにあるのか?これを分析し、最終的には「結局誰も悪くない、悪いのはナチス体制を生んだ反ユダヤ主義あるいは人間すべてに共通する社会・心理過程などの抽象的要因だ」という結論に行きついてしまうことを指摘する。

特に邪悪ではない普通の人間も、状況次第では犯罪に加担する可能性が十分にある。これは、ナチス政権下のおいてホロコーストに加担した人間のうちから、悪の根源となる人間を特定し、その責任を追及をすることができなくなることを意味する。

第2章のテーマは、死刑制度だ。日本の死刑制度は合法的な殺人といえる。それを執行するものには合法的とはいえ罪悪感が伴う。それを薄めるために、様々な工夫がシステムに組み込まれている。

執行者の心理的負担を減らすため、受刑者の姿や声に極力触れない済むように処刑場は設計されている。真の執行ボタンの他にダミーの執行ボタンを複数用意し、刑務官が同時にそれを押すことで、誰が真の執行ボタンを押したのかをわからなくする。死刑が執行されるためには、裁判官の判断に始まり、数多くの役人の確認作業を経て、最終的に法務大臣が死刑執行命令を下す。この分業体制によって、責任の希薄化、転嫁が図られる。

死刑執行の決断を下した真の責任者はどこにいるのか?関係者はみな、システムに乗っかり、自分の仕事を機械的に果たしただけだと考える。それこそが、死刑制度を可能にしている仕組みであり、ホロコーストにおいて普通の人たちにユダヤ人殺害を可能にしたものと同型である。

第3章では冤罪事件は社会システムの必然として生じることを論じていく。

冤罪に関わった人間に特別な問題があるから冤罪が起こるのではない。社会集団の持つ性質そのものが冤罪を生み出すのであり、それをなくすことは原理上、不可能だと主張する。

悪徳警察や検事によって冤罪は作り出されるわけではない。ごく普通の人間が、組織の中で、周囲からの期待に応えるべく自分の仕事をまっとうしようとした結果、冤罪は起こる。

ここでもまた、ある問題が、特定の個人による行動に起因して起こり、その責任を個人に負わせるという発想が通用しないことが示される。このようにして実例をあげて責任概念の虚構性をあらわにしていく。

第4章以降は、こういった事実状況を踏まえたうえで、責任概念とは何なのかを具体的に解き明かしていく。ここからがいよいよ本番である。これについては、ここで語りつくせるものではないので、その圧巻の流れをぜひ実際に読んで味わってもらいたい。読み終わった後には世界の見え方が変わっているかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?