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人はなぜラブドールを使ったオナニーに不快感情を持つのか?

TL上でラブドール規制について数日前から大戦争が起きていた。火事と喧嘩はWebの華。それもネタが「ラブドール」。つい面白そうだとのぞきに行った。どうやら以下のリンク先(魚拓)が火元らしい。

アダルトショップ内に子ども型ラブドールが置いてあって「合法レ〇プ」というPOPもついていた。それをこのゆみさんという人が撮影して、Twitterにその画像を流した。まあ、荒れそうですよね。

欧米では既にこういったラブドール類の規制に向けての動きがあるとかないとかで、日本もそれに追従するのか?ということで喧々諤々の議論というか、なじりあいが始まったようだ。

その辺の詳しい流れは知らないので、noteで検索をかけたらやっぱりあった。まとめてくれているのはヤヤネヒロコさんではないですか。いい仕事をしてくれる。流れ自体はこちらを確認してもらいたい。

さて、ぼくの興味は「なぜ人はラブドールでオナニーしている見知らぬ他者の存在を知ると、それを禁じたくなるほどの不快感情を抱けるのか?」ということである。以下のツイートから始まる連続ツイートをしたところ、5000RT 1.7万いいねと随分と拡散されて驚いた。ついでにフォロワーが500人増えた。ラブドールで集まってきたフォロワーのみなさんのことは、今後「ラブドーラー」と呼ぶことにする。

以下で連続ツイートのあらましをまとめてみよう。

人間は、人間と人形の区別をつけられない

なぜ一部の人間は、自分とは無関係な他人がラブドールにペニスを挿入してオナニーをしていることがわかると、それを禁じたくなるほどに不快感を覚えるのか?

これは人間感情の本質に迫るとても重要なお題である。

その暫定的な答え、仮説として「人間は本質的に人間と人形の区別がつかない。だからこそ、人形にペニスを挿入してオナニーができるし、それをやる人間に怒れる」というアイデアがどこからともなく降ってきた。

人形を人間と見なせば、人形とのセックスはレイプである

人形は意思表示ができない。だから、人形を人間に準ずるものとして扱えば、それは合意なきセックスであり、レイプになる。ラブドールに強い不快感情を持つ人たちの一部は、そういう感覚で怒っているのではないだろうか?実際、こんなようなことを言っている人は結構見かける。

「宇崎ちゃんがかわいそう」

宇崎ちゃん献血ポスターが問題となった時(参考リンク:「宇崎ちゃん」献血ポスターはなぜ問題か…「女性差別」から考える)、「宇崎ちゃんがあんな格好をさせられているのはかわいそう」という意見をフォロワーの一人から聞いたことがある。

かわいそうといっても実在の人物ではなくてフィクション上のキャラクターだからなあ、と思う一方で、そうやって作り出されたキャラクターだからこそ、その感想が出てくるだろうなあ、とも思った。作者は自由にそのキャラクターを書くが、宇崎ちゃんというキャラクター自身には自分の服装もポーズも決める自由はない。作者の所有する着せ替え人形みたいなものだ。

これもアニメキャラの宇崎ちゃんと人間を同等のものとして考えてしまう心理がわくからであろう。実際、そうやって同等のものとして捉えられないとアニメなんて面白くないのかもしれない。フィクションだとはわかっていつつも、なにか本当に彼らが別の世界で生きて動いているような感覚だ。

人形が人に近づくほど、怒りも増す

ラブドールについて「なんで『単なるオナニーの道具だ』というならば、人の形をしている必要があるんだ。単なる筒でいいじゃないか。もしそれじゃダメなのであれば、それは単なる道具ではないだろう」と言っている人を見かけた。

人に近い形をしていればしているほど実用性があるよね、と思ったのだが、やはりそこに怒りのポイントがあるんじゃないだろうか。

実際、局部のオナホールだけならそんなに怒られないはずだ。

それよりもAVの方が怒られる。あれもフィクションだし女優さんは合意の上で出ている。でも、そうじゃないように見せるストーリー展開や場面などが作中にあれば、もう腹が立ってきてしまう人も出る。あたかも現実のように見えるからだろう。

そう考えると、リアリティーショーに怒ることと、ラブドールに怒ることは、ある意味似ている。現実に似せた虚構を作って不埒なことをすると、それがリアルであればあるほど怒る人も出るということだ。

ラブドールはなるべく人間との区別がつかなくなるように努力して作っている。ラブドールはどんどん人間に近づく。その結果、ラブドールと人間の区別が心情的、無意識的にはつけにくくなっていく。

まさにそれこそが製造側が目指しているところである。ラブドール製造企業は最高にいい仕事をした。そして、いい仕事過ぎて怒る人が出てしまった。(木村花さんのときにもこんな言い回しあったね)

人形の中に人を読み込むのは自然なこと

ラブドールに限らず、子どもが人形相手にひどいままごと遊びをしていたら、すごく嫌な気分になる人がたくさん出るだろう。

「一つの人形を集団でいじめ倒して自殺に追い込む」みたいなロールプレイを嬉々としてやっている子どもを見たならば、多くの親は心配せずにはいられないはずだ。「うちの子はなにかおかしいんじゃないかしら?」

こんなリプライももらった。呪いの藁人形で説明するのはわかりやすい。

自分になぞらえた藁人形に釘を打たれる行為に恐怖感や嫌悪感を覚える人は多いはずだ。藁人形と自分はもちろん違う。でも、どこかでつながりを感じてしまう。自分をそこに重ねて投影する。これは極めて自然なことであろう。

感情が正当化の理屈を生み出す

「被害者不在なのに個人の自由を制限するのはよくないだろう」というのは、人権を重視する発想の人からは自然と出てくる。実際、そういった主張は多くみられた。

だが、それに拮抗する強烈な不快感情も一部の人には湧いて出る。怖い、キモい、ひどい、許せない……そんな不快感情への対処が自然と優先されると、その感情を原動力としてラブドールの規制の主張と小児性愛者への批判が始まる。子ども型ラブドール愛好家達からそれを取り上げようというわけだ。

ただし、「腹が立ったから」「キモいから」「怖いから」それだけでは彼らの人権に制約を加える根拠としてはさすがに弱い。

だから、謎の正当化理論が生み出される。人は後付けで、自分の直感的な判断をを正当化する理屈を作り出すものだ。

「子ども型人形がレイプ被害にあっている!」というのはさすがに世間での通りが悪い。

彼らは子ども型人形がレイプされる様を想像することで、我が子やそれ以外の子ども達がレイプされることを想起している。女性であれば、子ども時代の自分自身をそこに重ねていることもあるかもしれない。

いずれにせよ、彼らの頭の中で被害を受けているのは人形ではなく、実際に生きている「子どもたち」である。だから、子どもたちが危険にさらされており、それを守るために子ども型ラブドールと小児性愛者を社会から排除する必要があるというロジックを自然と組み立てていく。

傍から見るとおかしな論理展開、理不尽な主張であっても当人たちはなかなかそれには気づけない。自分たちの主張の背後には強烈な不快感情に支えられたパッションがあるからだ。

ラブドール擁護派は2種類いる

「ラブドールにはペニスを挿入する穴がないものもあるし、あったとしても挿入せずにとても大事に扱っている人もいる。決して人形を暴力的にレイプしているのではない」そのようにラブドールを大切に扱う愛好家達の様子を語り、ラブドール所持者を擁護する説がある。彼らからしたら、今回の件は飛んだとばっちりだ。自分が家族、パートナーとして大切にしているドールを奪われる危機を迎えている。

激しい規制派と、人形への愛を強く語る擁護派は、ラブドールに対する強い思い入れがあるという点においては共通している。思い入れの方向が正反対なだけで。感情移入能力が高い。その世界を味わう能力が高いということだ。

一方、ぼくはラブドール規制に反対、ラブドール擁護派であるが、人形への愛はほとんどない。まずラブドールを所有したことがない。これから所有する予定もない。今回の騒動まではラブドールに大した興味も示していなかった。

「別にラブドール売ってたってなんの問題もないんじゃないの? 禁止されてもぼくが直接困ることもないんだけど」

そんな具合にラブドールとの間にずいぶん距離がある。ラブドールへの感情移入が少ない。

それにもかかわらずぼくがラブドールと小児性愛者を擁護するのは、無根拠な人権侵害を許すことは社会全体にとって良くないことだと思うからだ。

ラブドール規制派が感情を爆発させること自体は仕方がないのかもしれないとも思っている。そうならざるを得ない事情や歴史もあったのかもしれない。

だが、それに対してもう一方から「はたしてそれは本当にそれは妥当なものなのか?」と冷や水をかける役も必要であろう。

このように同じラブドール擁護派であっても、「ラブドールを大切にしています!」と規制反対を訴える人と、「人形ごときに熱くならんでも」って規制反対を訴える人とでは、魂の置き所が少し違ったりするのだった。

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【トークライブ】ラブドール 人ならぬものに人を見るとき
6/2(火)20時~
児童型ラブドール規制の動きが高まっている。なぜ人はラブドールに不快を感じるのか?人間が意思のないロボットを演じるロボデリの開発者とロボ女性をゲストに招き、人間と人形と欲情を語る。

ゲスト:あき(ロボデリ) サヨコ(ロボ)
スピーカー:めんたね(こうじ) 老師 阿南 りな
https://youtu.be/UIiIPN_lAFg

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