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「成毛 眞」流の読書術!徹底して古典は読まず、新刊本だけを読む。

自分が本好きなこともあり、他の人の読書術・読書法にかなりの関心がある。成毛眞氏は、本業はともかく、大の読書好きで知られていて、情報のインプット・アウトプットに関する著作も多い。(本人がADHD気質を告白しているのも、なんとなく親近感を感じさせるものだ)。

成毛氏は、書評サイトHONZを主宰している方でもあるので、大量の本に触れる環境は出来上がっている。超大量の本を苦も無く読みこなす成毛氏の読書法に興味があり手に取った本、次の一冊を紹介したい。

新刊本だけを読む

「新刊におもしろい本がたくさんある。中には、最近の本より昔の本のほうがおもしろいと言い続けている人もいるが、そういう人は最近の本をあまり読んでいないのではないか、といつも思う」

「新刊しか読まない。新刊だけを追いかけても、読みきれないほどの量が出版されている。新刊以外のものを読むほど時間に余裕はないのだ」

成毛氏の読書法で際立っているのは「新刊本」(3か月以内)に絞って読むという割り切りだ。ここまで割り切っている人は少ないので、これは際立った読書法だと感じる。毎日何百冊もの新刊が出ており、一年を通すと万を数える新刊が出ることを考えると、新刊だけに特化する読み方もひとつの読書法であるのは間違いない。

特に成毛氏は、ノンフィクション・自然科学ジャンルを特に読む人なので、この分野は古い本を読む必要がないのだ。古い科学理論や、過去の発見などを読む必要はない。

古典は読まなくてよい

さらに、成毛氏は、話を古典に広げ、(自然科学に限らず)古典は読む必要はないと言い切っている。どの人の読書法・読書術を読んでも、やはり究極的には「古典を読もう」と言われるだけに、成毛氏の大胆な主張は目を引くものがあった。

「翻訳ものの古典に問題があると思う。まず昔の人の訳が 下手 なのだ。しかも、原典の文章も 上手くないことが多い。それを組み合わせて考えればわかるように、何を書いてあるのか皆目わからないことがある。皆がなぜそういう感想を持たないのか、不思議でならない。 」

「多くの昔の人は、じつは文章が下手だったのではないかと疑っているのだ。」

ここまではっきり言う人がいないけれど、皆が言うから味わい深いと思い込んでいるだけで、実は意味も分からないのに、古典にしがみついている人もいるのかもしれない。

今は大量の文章に触れる機会があり、誰もが自然に文章修行しているような時代だけれど、過去にはそもそも読める絶対量が少なかったので「昔の人は文章が下手なのではないか」というのだ。これは大胆だ、笑 思っても言えない。古典を読みこなせないと普通は、自分の読解力を責めるところだが、成毛氏は違う。この辺はニヤニヤしながら読んでしまった。

何を読むかは自分で決める

結局、大量の本があるのだから、何を読むのか(それはつまり「何を読まないのか」と同義)は自分で決めなければならない。自分の中に確たる軸があれば、本を選ぶ時も読む時も迷うことがないだろう。

本を読んで何を得たいのか、どうなりたいのか、どこに行きたいのかは、自分で決めるのだ。たかだか、本の読み方だけれども、それは人生をどうやって選択していくのかという生きざまが表れるものだよなぁとか、深遠なことを考えてしまった。

#成毛眞 #古典 #新刊本 #読書法 #読書術  



大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq