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#ADHDあるある:手先が不器用すぎて困る。実は「発達性協調運動症(DCD)」だった?

不器用さには定評がある。過去に、数人だけれど、同じくらい不器用な人にあったことがあって「不器用あるある」で超盛り上がった。

彼は瓶のフタをあけることができないという話を面白おかしく教えてくれて、私は小学校のころから折り紙を折ることもできず、隣の女子に折ってもらっていたとか、工作をする時は、のりしろを切ってしまい、みんなよりいつも一回り小さくなっていた話。

なんだか、ものすごい親友と語り合ったみたいな気分になったけれど、不器用以外は、何の共通点もない人だったな。まあ、そんな話はどうでもいいんだけれど、発達障害の本を読んでいて、この「手先が不器用」という症状にも病名があることが分かった。発達性協調運動症(DCD)という。

ADHDなどと、同時に併発することもあるようだ。私の場合も、これだったに違いない。これだったというか、今でも、まったく改善していないのがつらいところだ。

不器用エピソード

箸も持てない。お子様の練習箸を買ってきて練習したが、結局持てないまま。お恥ずかしい話だが、ワイシャツの袖のボタンを留めるのも、ものすごい時間がかかる。靴紐を結ぶのが大変。固結びをほどけないとか。缶切りを開けられないとか、ワインのコルクを抜こうと思ったら粉々にして瓶の中に入れてしまうとか。

この前は、防災用にヘルメットを買ったのだけれど、ヘルメットのひもを縛れなかった。どんな簡単な工作でも組み立てが不可能。小学校の時は、親にミニ四駆を作ってもらった。この前、安かったので組み立て式ロッカーを買ってきて、組み立て始めたら棚板に手を挟んで5分で出血した。鋏を使わせると切り口がぐにゃぐにゃ。電球を変えるとか、インクカートリッジの交換とか、なんだったらふすまを取り換えるとか、そういうのも私にとっては、かなりの難易度になる。

不器用、エピソードをあげると、本当にキリがない。我が家では、こういうことは全部、妻の仕事だ。

そんな私が20代の時に働いていた仕事では、取引先のところで、機械を組み立てる仕事があった。横でずっと見られていて、頭が真っ白になり、意味不明な動きを繰り返し、えんえんと組み立てに時間がかかる様子を見て、取引先も本気で引いていたのを思い出す。焦るからなのか、説明書を見ても、まったく頭に入らなくなり、外国語を読んでいるみたいだった。

ようやく組み立て終わったと思うと、部品が一個落ちているのが分かる。つらい仕事だった。っていうか無理だったのだ。無理なことは無理ってあきらめないと、ほんと鬱になる。

本田氏によると、ADHDとDCDの特性を同時に持っている人は、自尊心を失いやすいという。「日常のことが、何をやってもできない」という気持ちにさせられてしまうからだ。私も、常にできないことが多いので、ちょっとした作業でも、体に緊張感が走る経験をしてきた。

練習しても、訓練しても慣れない。何度やってもできないから、やっぱり、これは障害って言ってよいレベルではないかと思う。

羞恥心が心を傷つける

ADHDもDCDも、普通の人は何の苦労もなくこなしていることができないので、自分に何かが「欠けている」ことを実感させられる機会が抜群に多いのだ。

それで、できるだけ、そういう場に直面することを避けようとする。みんなの前ではできなくても、黙っていてバレないようにする(できたふりをする)ことが多く、そういう時には、あの後ろめたい感情(羞恥心)がわいてくる。

この羞恥心ってのが、ほんと、どうしようもない感情で、絶対的にIm Not OKをたたきつけてくるのだ。いつかはバレてしまうという恐怖との闘い。これが、毎日の感情だ。羞恥心を感じ続けると、バレないようにしようとすることに相当のエネルギーを使うため、疲れ切ってしまうのだという。

こんな障害があるんだよってのが、学生時代に分かっていれば、かなり気持ち楽だったかもしれないなぁ。

今になって、あ~これも発達障害だったのかって、一つずつ学んでいるのだ。それが分かったからって、今さらどうしようもないのだけれど、大人になったら、とにかく避けて通ることができる。

もっと小さなころから、無理してもできないものであれば、無理しないという選択肢があっても良かったかも。本当にできないんだもんなぁ。


大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq