「迷うこと」をここまで魅力的に書いたエッセイがあるだろうか?〜迷うことについて〜
【考察】深い作品って何だろう?
”それがどんなものであるかまったく知らないものを、どうやって探求しようというのでしょうか”
ーメノン(いにしえの哲学者)
最近、この書評noteの意義を考えてるのか、作家であり、歴史探究家であり、フェミニストでもあるレベッカ・ソルニットの著書『迷うことについて』が妙に刺さりまして。
本書は、哲学者メノンに始まり、ネガティブ・ケイパビリティの生みの親である詩人ジョン・キーツや随想家ヴァルター・ベンヤミンが
迷うこと
というテーマに対する考え方や解について語り、著者のソルニット氏がそこに体験談を交えた考察になっており
「深い作品」のお手本
といった感じ。
個人的な意見ですが、深い作品とは
読み手の幅が広く、さまざまな「解釈」ができる作品
ということでして、つまり「誤解」の数が多いことなのではないかなと感じます。
哲学や古典と言った作品は、読み手の解釈を反映し、実にさまざまな捉え方をするものです。
作品が発する問いに対し、「こうだ!」という明確な答えがあるのではなく、下手すれば一生をかけても足りないくらいに考察できるものだったりすると思います。
例えば、読書。1番優れた読書法を答えることができますか?
・記憶に1番定着するからなのか?
・気分がスカッとすることなのか?
・ずっと続けられるから優れてるのか?
と、まずは「優れる」の方向性を定めないといけませんが、これまたその一つ一つに対し「なぜ優れているのか?」を掘り下げて説明しないと納得できません。
それが仮に終わったとしても、
・その読書法が実現可能なのか?
・読書法を実現したから何なのか?
・読書だけでしかそれはできないのか?
みたいな検討の余地が残っております。
・・・・という風に、読書ひとつとっても色々な「解釈」があるもので、そういう考察ができることが「深い作品」だよなぁと個人的に思うわけです。
幅広い人がそのテーマについて考える機会を与える作品、と言い換えてもいいかもしれません。
ソルニット氏は『ウォークス 歩くことの精神史』もそうなのですが、一つのテーマ(下著なら「歩くこと」)に関する多角的な深掘りが非常にうまい本でございます。
よくもまぁ、こんなに偉人の言葉を引用しつつ、自分の意見が埋もれずに、むしろ際立たせて書けるなといつも感心してしまいます。
私もいろんな本を読んで、記事を書く際には偉人の言葉に埋もれて自分の意見が見えなくなるので、、、非常に参考になります。
毎日書評を書く意義が最近分からなくなった
自分だけかもしれませんが、結局何がしたいのか?なぜしたいのか?どんなことを求めてるというのは厳密には分からないものです。
一括りにお金持ちになりたいとか、人気者になりたいとか、時間が欲しいとか、、「なぜ?」と問われてもなかなか出てきません。
単に周りがいいと言ったから、私もいいと思っただけかもしれないなぁとここ最近は感じています。
こうやって書評を書いていく意義は
単に読んだきりになっているのがもったいなく、アウトプットしたかったから
というものだったのですが、そこに対して
・なぜ読んだきりがもったいないの?
・もったいないからアウトプットするのはそれこそなぜ?
・アウトプットして実際どうだった?何か得た?
という疑問が浮かび、
・読んだきりだと、忘れてしまい、結局時間のむだになる。それが怖いから。
・アウトプットすることで、どこを特に忘れたくないのかが浮き彫りになるから。
・note書評をすることで、自分の文章がちぐはぐでしっくりこないことをまずは感じ、書き続けることで何となく近づきつつあることを感じたからよかった!
みたいな解答をいったん出しております。
ただ最近は、
読んでくださる方が多くなってきているんだし、もっと分かりやすい文章を心がけたらどうだろう?
という思いが強くなりつつも
分かりやすく書く、つまり頭にスッと通る文章って疑問を生み出しづらく、経験的に拙い自分がそれをやったら作品の魅力が死ぬんじゃないか?
なんてことも考えたりしております。いわゆる迷走状態ですね笑。
そこに関してはまた、ちゃんと答えが出たら書いてみます。
ということで、そんな考察や解釈がたくさんできるレベッカ・ソルニットの作品はいいよ〜ということで終わります。
なんだかモヤっとする終わり方ですみませんm(_ _)m
これからも読んでいただけたら嬉しさの限りでございます。
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