自己肯定どうこうの考え。

こんばんは。

自己肯定の話続いてたけど思うことが色々あるので書いてみようかなと思います。

1 優秀さという物の定義と
早い話、優秀な人は色々できるとか能力が高いという物について、
最近ずっと思ってたことなんだけどこれそれなりに嘘を含むと思ってる。
単純によく使う例なんだけど効率的とか目的志向性、あるいはなんかの能力のいわゆる特化するとどっかが凹んでること多いんだよねと。
よく思うのがコミュ力と仕事の優秀さみたいなのは反対にあると思うことがある。両方ある奴もいるんだろうから、その辺の表現が的確かといわれるとそうじゃないんだけど。
まあでもね、結局どんな優秀な人でも結局他人に頼る、依存する必要がある。
だからこそ仕事のできる優秀さとはという問いに茂木健一郎は個性と個性の響き合わせることである。と回答してる。
つまり自分のダメなところはダメなんだから素直に他人にフォローしてもらう。おそらくそういうことなんじゃないんだろうか。
仕事であの人タスクは優秀だけど、コミュニケーションがあまり得意でないから、コミュ力高い人いれるとか。
優秀というのは個人の判断基準の物であって、完璧な存在の物を指すものでは基本そうじゃないなと思う。

2 劣等感を植え付けているのは自分である

他人が何と言おうが、結局思ったことをそのままいう猿みたいなものだな。
気にするなといっても難しいから、結局そういう人を遠ざけるしかないんだろうなとは思う。
いわゆる自己肯定の話すると大体毒親とかいうのもリンクしてくるんで、
呼吸するようにダメな自分という刷り込みが出来てることが多く感じます。
結局いい奴悪い奴も人によって変わるものであると思ったらいいんじゃないかなと。
人のいい所悪い所の両面性は誰もがあって、どこに意識がいくかという話ではあるんで。
自分にとってどうでもいい人にどう思われようがどうでもいいという精神でいましょう。

3 こんな堅苦しいこと考えてないで楽しいこととかおいしい料理の作っり方でも何でもいいので探す

プリンにしょうゆかけたらまずくなる。
クリーム付けるとまるくなる。
おいしいものはやっぱねーみんな好きなんだよね。

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