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1.あるモノ作りが好きな人がいて、自らの美意識に基づいてこの椅子を作った。好きが乗じて作品が増えた。周囲の人に「良いモノだから欲しい人に分けてあげたら」と勧められて、バザーに出したところ人気となり、良い値で売れたことに感謝した。だが、実はこの椅子を好きだと言ってくれる人にしか譲りたくはない。

2.あるモノ作りが得意な人がいて、必要に迫られてこの椅子を作った。機能性とデザインが人気となり、「他人の役に立てて、生業(なりわい)となるなら、自らの責任が及ぶ範囲で数を作ろう」と仕事にした。しかし、仕事にしたために不満も生じた。商品となった自分の作品の完成度に妥協せざるを得なくなったからだ。

3.あるお金儲けが得意な人がいて、この椅子を見て「売れる」と思った。採算のベースに乗せるには大量に作らなければならない。だから、製造工程を分散して、労働者を募った。労働者は各パーツを検査基準に基づいて懸命に製作した。商品となったこの椅子は売れ筋となり、販売を企画した者は利益を出し、次の「売れる」商品を物色した。

この椅子を取り巻く「モノ作り」と「生産」と「販売」という人間の活動を多角的に見てみた。どれが良くてどれが悪い、どれが正解でどれが間違いという話ではない。

ただし、想像し得るのは「モノ作り」の動機は、多くは2から始まっているだろうということだ。おそらく2から始まって1へと昇華されるのが多数だろう。僕はその過程とその葛藤を知っている。

今は亡き印刷屋の大将がいた。彼の作る名刺は美しい。その名刺には黄金比があり、その様式美を崩すことはなかった。縦型と横型は客の求めに応じたが、それ以外は客の要望に応じなかった。しかし、彼は彼の名刺が消耗品であり、決して「この椅子」のように作品とはならないことも自覚して仕事として印刷業を営んでいた。

今、製造業に従事する労働者は、3の労働者だろう。かくして仕事は、分業を経て、労働となった。労働とは「賽の河原の石積み」のような人間の活動の重要な一部だ。

あ。書き忘れた。初めから「モノ作り」の動機を1から始める人が現れる時がある。その人をおそらく天才と呼ぶのだろう。そのような作品に出会いたければ、毎年秋に開催される奈良の正倉院展に行けばいい。https://shosoin-ten.jp/

I have a dream. 私の「夢」は、日本に活動家を養成する学校をつくることです。 私の「モットー」は、Life is Art. Life is Play. -生活をアートできるようになれば既に幸せ-