アイデンティティの形成がやっと始まった25歳

いつも、求められることに応えるので精一杯だった。
そうしていれば人に敷いてもらったレールの上を歩ける。その方が安全だし、上手く、速く歩ければ褒めてもらえるし、それでよかった。

学生時代の勉強、就職活動、
新卒時代のOJT下での仕事、
はたまた女としての役割でさえ
何が求められているのか?
その目的をどう達すればいいか?
を理解して実行出来ればよかった。

実際、その文脈では
(自分で言うのもなんだが)
わたしはめちゃくちゃ優等生で、
たいした苦労もせずここまできてしまった。

そして今。
25歳、新卒3年目も終わりに差し掛かった春。
たしかに今も、
社員として、友達として、恋人として、子供として、色んな人に求められていることはバラバラとある。

そう、バラバラと、ある。
いまいち各方面から求められるものに一貫性というか統合的な大きな目標、方向性みたいなものがみえなくて

なにに向かっていけばいいのか、
なにが1番大事なのか、なにが正しいのか、
全然わからなくて急に迷子になってしまった。

それでついにやっと、
自分で自分の道を決めて道を作ってあげる
タイミングが来てしまったのかなと思った。

や、もしかしたら、
本当だったらこの流れのままいけば
結婚→出産→子育てみたいな流れに
突入することが今までの生き方だったら
正攻法だったのかもしれない。

けど、どうやら今すぐにそうは
出来ない、のかしたくない、のか
自分でもあまりハッキリとはわからないけど
今はそうするタイミングではないと思ってる。

そう考えると、これからは自分で考えた人生を歩むというよりも、
レール敷かれた人生で束の間道草を楽しむくらいのニュアンスなのかもしれない。

ともかく今、なんとなく、
自分で楽しいこと、好きなこと、頑張りたいことを選んで自分で決めた大きな方向性に向かっていきたい、そんな気持ちになってる。

昔から、絵を描くこと自体は好きだったけど
なにか好きなものを描いてみたいな課題がすごく苦手だった。

いつでも正解したいから、
正解のない問いや課題は避けたかった。

自分を表現しろと言われても
中から何も出てくる気がしなかったし、
その結果つまらない人間だなって
価値判断されることもすごく怖かった。 

だけどなんか、そろそろ吹っ切れた。
まだまだ足りないけどたくさん勉強して、
色んなこと経験して、
他人の自分に対する価値判断がだんだん
怖くなくなってきた。
というか、どうでもよくなってきた。
「ウケる」でかわせるようになってきた。

これが自信というやつなのかな。
敷かれたレールとはいえ、そこで頑張った経験あっての自信と思えばいい経験だったかな。

まだまだ自分の中から
描きたい絵も作りたい粘土も彫刻も
全然出てくる気はしないけど、
やりたい仕事、もたらしたい価値、
これからまだまだ勉強したいこと、伝えたいこと、やりたい楽器、忘れてたけど色々あった。

また死にたくなって、全部どうでもいい、なんの意味もないって思う瞬間もいつ再来するかも分からないけど、そういうメンタリティもまた私自身のアイデンティティとして、好きになってあげるのもいいのかもしれない。



本を買ったりします