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失語症文化論仮説 La hipotesis sobre la cultura de personas con afasia  4章  演劇編導入

この章では、失語症者の状態や失語症者との「伝える・伝わる」を誰かに伝える1つの方法として、演劇を提案する。

(1)何が「答え」かは誰もにわからない
 本論の目的は、1章で「失語症者への新たな理解を提案すること」と述べた。失語症者との意思疎通の技術を習得することは、このたび目的としていない。
 「新たな理解」のあり方として、2章で「スラスラ話さなければならないという呪縛からの解放」と述べた。
 本章では、ある失語症者の状態に合わせた対応方法を提示しながら説明する。これから提示する方法が、対応方法の「答え」とはならない。失語症者にとってはスマートフォンやタブレット端末が活用しやすいこともある。また失語症の改善によって、対応方法も変化する。
 非失語症者同士が行っている、日常の「伝える・伝わる」にも、「答え」はない。
 うまく伝えられずに、「失敗した」、「言い方を工夫するべきだった」と振り返ることはあっても、何が「答え」かは誰もにわからない。
 しかしながら、世の中には予め「答え」を持って会話に臨む人もいる。この話題については、いつか機会があるときに取り組むこととする。
 本章の始まりに、失語症者の状況や失語症者との「伝える・伝わる」を誰かに伝える1つの方法としての演劇を提案すると述べた。 
 失語症者の役だけではない。その「伝える・伝わる」の相手となった人たちを含めて、それぞれの役を演じてどう感じるのだろうか(注1)。
 
 場面設定として、ある失語症者に用件を「伝える」状況を想定することとする。
 その失語症者は、リハビリテーションを行うために入院しているとする。伝える側がスラスラ話すと伝わりにくい。ヒントとなる語を書いて示しながらゆっくり話すことで、完全ではないながらも伝わりやすくなる。
 この人は、いつもは9時にリハビリ室に行っている。リハビリ担当者が、明日は10時から会議に出席せねばならなくなった。他の患者のリハビリ時間と調整して3時から行う予定にした。このことをこの失語症者に伝えようとしている。
 上述しているが、伝え方に「答え」というものは無い。このため、以下に続く伝え方が必ずしも最適な方法ではないことを前提として、一例を示して、伝え方の解説を加える。
 この失語症者に「リハビリ9:00→明日3:00」と書き示しながら、「いつもは9時からですが、明日は3時からです」とゆっくり話すと、伝わりやすいのではないかと考える。
 この伝え方について、若干の解説を加える。
 失語症者の伝わる具合によっては、このように要点を書いて提示することが有効な伝える手段となる。
 伝える側からすれば、最も伝えたいことばをいくつか決めてから伝えることになる。
 筆者はこの方法を同僚に何かを伝えるときにも用いている。複雑な要件の場合、要点を視覚的に示すことで伝えづらさの負荷がいくらか軽減される。
 しかしながら、筆者はこの伝え方を同僚に説明したが、失語症を持つ患者に用いた人はいなかった。
 用いられなかった理由はいくつか考えられる。
 その患者は、話していることにうなずき、自分が話したことが伝わっている様に見えたので、書き示す必要がないと思った。
 筆記具や紙を用意しないといけない、わざわざ書くことが面倒である。または、自分が話そうとする内容の要点を抽出することに慣れていない。
 同僚は、相手が難聴者で口頭では伝わりにくいときは、聴こえる方の耳に話しかける、声量を上げて話す、聞こえていないところを書き示す、あるいは手話を用いるなど伝わりやすい方法を用いている。
 しかし、失語症者の症状には個別性がある。どの失語症者に対しても「こう書けば、必ず伝わる」ということがない。筆者も失語症者に書き示しながら伝えるときは、試行錯誤しながら行っている。
 この試行錯誤は、伝える相手である失語症者が自分が書いたことば、描いた絵や身振りに視線を向けないことには始まらない。自分だけではなく、互いに「伝える・伝わる」に取り組むことになる。
 ことばや絵、身振りをいくら提示したとしても伝わらないこともある。伝わっていない様子を見て焦るとますます伝わらなくなる。「何が何でも伝えなければ」という緊張が不意に抜けたときに、書いたことばによって伝わることもある。
 書いたり、描いたり、身振りを示すことは、失語症者に伝えることを補うための有効な方法である。
 そして、「試行錯誤するバイタリティー」も同時に求められる。ある方法を知っているだけではなく、その方法を使ってみようという軽やかさと熱意があってこそ、有効になるといえる。
 
(2)「伝える・伝わる」の不成立は失語症者に限らない 
 「伝える・伝わる」が成立しない状況となるのは、失語症者との場合に限らない。
勤務先の朝礼時間、わずか5分の中であっても「伝える・伝わる」が成立していなかったと気付くことがある。
 勤務先の勉強会の日程が変わっていたのに、自分だけには「伝わって」いなかった。
 逆に、筆者が新しいキャビネットが搬入されることを朝礼で予告していた時は、キャビネットがリハビリ室に搬入されてから同僚の一人から「誰が新しいキャビネットを注文したのか?」と問われた。朝礼で予告していたのだが、「伝わって」いなかった。
 朝礼のわずか5分間のことであっても、「伝える・伝わる」が不確実なのは毎度のことである。非失語症者との場合においても、「伝える・伝わる」が成立しないことは、誰にとっても日常の中で起こっていることことである。
 これを脳血管障害の後遺症として生じる失語症を持つ人との、「伝える・伝わる」が成立しなかったことと同様とみなすのは極端である。
 しかし、「うまく相手に伝えられなかった」、「相手の言うことがよくわからなかった」ことを体験してきていることは、失語症者との「伝える・伝わる」を行う際の手掛かりになるのではないかと考える。

(3)どう伝える、失語症者の状態
 失語症の障害の特性がもたらす「伝える・伝わる」の不十分な状態と、非失語症者の「伝わる・伝わる」が不十分な状態に違いはあるものの、「伝える・伝わる」が不十分となることが失語症者だけのものではないことを述べてきた。

4章 図1

4章 図1の2

 図1 失語症者だけが「伝えられない」・
  「伝わらない」のではない

 このことは失語症者の状態を非失語症者に説明する際に、共感性を持って説明するということを意図していない。
 共感性を持つことを求めると、「相手に言いたいことを伝えられないのは非常にストレスである」、「相手の言っていることがよくわからないことに不安を感じる」というネガティブさを手掛かりに説明することになる。失語症者の状態をネガティブさを手掛かりに説明することの限界は、1章で述べた。
 「伝える・伝わらない」が不十分であったことを経験したことによって、失語症者の立場で考えることも意図していない。
 失語症者の立場になって考えることを促すと、2章で述べたように「優しくしないといけない」、「何を伝えようとしているのか、わかってあげなければならない」と決め込んで身構えてしまうことが予測される。
 下図の左側のAを「伝えたいこと」とする。ここでは、失語症者の状態が「伝えたいこと」である。
 筆者の経験ではあるが、失語症者の状態を説明することが容易ではないことを2章で述べた。説明内容として、失語症者の障害の説明か、心理的なケアのことか、失語症者とどのように「伝える・伝わる」を行うとよいのか、などを挙げた。
 図2では、Aが容易でないことを示すためにトゲのついた形を用いた。右側のA´は相手に伝えるために表現している。AをA´に変換するにはどうするかを考える。

4章 図2


   図2 「伝えたいこと」から「伝えるために表現したこと」へ
 Aを全てことばによって伝えるのは容易ではない。筆者には、失語症者自身が描いた絵を用いたり、失語症者とパワーポイントを作成 1)するなどの視覚的な方法を使って、同僚への説明を試みて一定の効果を得た経験がある。
 伝え方として、3章では「失語症者との歩み寄りを考えるための演劇」の可能性に行き着いた。ある場面の失語症者とその周囲の人たちを演じることが、失語症者の状態を伝える表現となるのではないだろうか。 

4章 図3

  図3 それぞれの経験を活用して「伝えるための表現したこと」に
  
 「A伝えたいこと」とは失語症者の状態である。「A´伝えるために表現したA」を目指す過程で、それぞれの経験を活用する。経験とは、自分が行った「伝える・伝わる」が不十分だった時に、どのような振舞いをしたかということである。
 例えば、相手に伝わらなかった時、顔が強張ったのではないだろうか。思わずため息が出たのではないだろうか。それとも何事もなかったかのように、相手から目をそらしただろうか。
 これらが「伝える・伝わる」の不成立を演じるときの手掛かりとなるのではないだろうか。
 演劇は、演じている場面を見ている人たちも「見る」ことで参加している。
 これは、豊橋技術科学大学でロボット工学を研究されている岡田美智男先生が示している、「なり込み」と共通しているのではないだろうか。

 “相手と歩調や視線の先を合わせることを、自分の身体で感じることを手掛かりに相手の状況を探るような「なり込み」 2)”
 
 失語症者や周りの人を演じているのを見ることからも「失語症者の状況を探る」ことができるのではないかと考える。
 失語症者とその周囲の人たちを演じる目的は、失語症者と「伝える・伝わる」方法を身に着けるのではない。演じる側・見る側が、失語症者との「伝える・伝わる」を「気に留める」きっかけになることを予測する。
 そして、3章で菅原氏のことばを拝借して述べた、演劇を通して失語症者との「伝える・伝わる」を考えることの実現に進みたい。
 次章では、ある失語症者にリハビリ時間の変更を伝える場面を想定した短い劇を提示する。 

 参考文献
1):体験談によって失語症者自身と参加者の障害認識を促した一例 第10回日本言語聴覚士協会総会・日本言語聴覚学会 プログラム・抄録集 2009
2)岡田実智男「<弱いロボット>の思考」講
談社現代新書 2017

(注1) 導入として発声練習や身体活動が必要である。「演劇ワークショップ」の開き方について調査中 参考:平田オリザ、蓮行「コミュニケーション力を引き出す演劇ワークショップのすすめ」PHP新書 2009年

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