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失語症文化論仮説La hipotesis sobre la cultura de personas con afasia 2章 前半

 <「文化」の名を借りて>
 前章では、失語症を持つ人(以降、失語症者)の状況(注1)のネガティブな側面だけを伝えるのでは、非失語症者は関心を持つことを促せないのではないかという問題を示した。
 別の言い方をすれば、ネガティブさだけを手掛かりにしていては、世の中の人に失語症者の存在を知ってもらうことに限界があるのではないだろうかという疑問を持ったのである。
 しかしながら失語症は言語機能の障害であることには変わりはない。失語症者の状況をポジティブな捉え方へと無理やりこじつけるという意味ではない。
 本章では、前半の(1)~(4)において、筆者がこれまでに失語症者の家族や医療関係者に対してどのように説明してきたかを振り返る。後半は、先行研究を踏まえながら失語症者の「文化」を検討する。

前半:これまで行ってきた失語症の説明
(1)誰に説明してきたのか
 筆者がこれまで行ってきた失語症の説明を振り返る。

図 矢印失語症者 非失語症者 筆者

 
 上図は、失語症者と非失語症者から筆者(言語聴覚士)に向けられた代表的なコメントと、それに対する筆者の返答や内省を示した。
 図中の「非失語症者」とは、失語症者ではない人たちのことであり、失語症者にとっては意思疎通の相手に当たる。言語聴覚士としての筆者には、失語症者の状態を説明をする相手であり、具体的には失語症者の家族、例えば失語症者の妻、夫、子どものことである。失語症者が入院中であれば、その失語症者のリハビリ担当者や看護師が含まれる。失語症者が職場復帰するのであれば、上司や同僚となることも考えられる。

(2)「失語症」の特徴
 失語症の説明を行う時、失語症の大きな特徴が浮かび上がる。
 失語症は言語障害であり、ことばで伝え合うことに支障が生じる。このため、生活の中では非失語症者との意思疎通がリハビリの目標となる。
 失語症者との「伝える・伝わる」を改善させるするのは、失語症者が持っている症状の回復だけではない。周囲の人たちが、その失語症者に合わせて対応することが求められるのである。
 例えば足が不自由となった時に、杖や車いすなどを使うことによって移動の不便さを補うことが考えられる。
 失語症者との意思疎通には、症状が余程軽度の場合を除いて、会話の相手が何らかの工夫をすることが求められる。極端な言い方をすると、失語症者の意思疎通のしやすさや不便さは、相手の対応によって変動するということになる。

(3)失語症の説明 への試み
 ここからは失語症の説明を試みる。
 失語症は言語機能の障害である。言語機能とは聞くこと、話すこと、読むこと、書くことである。
 聞くことが障害されると、例えば次のようなことが生じる。
 ただし、失語症の症状の現れ方には個人差があるので、失語症者誰もが次に述べるような状態になるのではないことを予め強調しておきたい。
 看護師がある失語症者に「レントゲンに行きますよ」と声をかけ、その人は「はい」と言って、コップを差し出した。看護師に「レントゲンに行きますよ」と言われて、「はい」と答えたのにも関わらず、コップを差し出した。
 この場面は、恐らく次のように解釈されるであろう。
 「レントゲンに行きますよ」と声は聞こえ、何か促されたところまでは把握できたが、言われた内容を「お茶はいかがですか」と誤って受け取ったのでコップを差し出したのではないか。
 話した声が失語症者に聞こえているのに、内容は誤って捉えられ、意図した通りには理解されなかった。
 話すことが障害された場合、例えば食事は普通にできていて、食べるための口は動いているのにことばが出てこない、あるいはことばを誤る。
 読むことが障害された場合、例えば食事の際にテーブルの箸も器も取ることができているのに、あるいはこちらの動きに追視できていて、目は見えているはずなのに、新聞を読むことができなくなっている。
 書くことが障害された場合は、例えば食事の際に箸を扱いことができているとする。あるいは手や腕の麻痺によって利き手を使用できないとして、利き手ではない方の手でスプーンを使うことができるのに、文字を書くことができない。話すことができない代わりに筆談ならできるだろうと期待して鉛筆を持たせても、文字を書くことができない。
 上述のように、声は聞こえているのに内容を誤る。口は動くのに言い間違えたり、ことばが出てこない。目は見えるのに、文字が読めない。手は動くのに、伝えたいことを書くことができない。
 まるで外国語で話しかけられて、何を言われているのかわからない、どうやって言い返したらよいかわからないのと似ているのではないだろうか。
 これは失語症者の状態を表すときに、よく用いられる。
 しかし、筆者は過去に「失語症になってことばがわからなくなるのは、いきなり外国に来たような状態です」と説明したことによって、却って相手に捉えにくくしてしまったことがあった。
 説明した相手は、「外国語なんて、私にはわかりません」と言った。
 失語症者本人の状態を話題としていたのだが、相手は「外国語」に対する自分自身の苦手さを訴え、失語症者の状態とは見当違いの方に話題が向かってしまった。
 失語症者との意思疎通への歩み寄りを図ると同時に、説明相手である非失語症者自身の意思疎通に対する受け入れ様を汲み取ることが必要であった。

(4)ネガティブというレッテル貼り
 言語聴覚士は失語症者には、言語機能の回復に向けてリハビリを行う。
 患者の家族や身近な医療者には、対応の仕方について説明する。失語症の症状と対応方法に加え、必要に応じて失語症者が持つストレスを説明する。
 症状と対応方法、ストレスなどの心理面はどれもが関連している。
 しかし、失語症者の状態についてより多くの情報に基づいて説明したことで、周囲の非失語症者がその説明を受け入れられたかは定かではない。
 あるいは、失語症者の症状を説明し、症状に合った「伝える・伝わる」方法をアドバイスし、その失語症者が抱えるストレスを汲み取ることなどを説明するほど、失語症者の状態を近寄り難いものとして印象付けてきたのかもしれない。「上手に意思疎通できないのだったら、いっそのこと話しかけないない方が良い」、このように話していた看護師も筆者の周囲にはいた。
 東京工業大学の伊藤亜紗先生は「健常者が障害のある人と接するときに何かしてあげければならないと構えてしまう」1)と述べている。このことと同様に、失語症者に対応する非失語症者は、「優しくしないといけない」、「何を伝えようとしているのか、わかってあげなければならない」と身構えているのではないだろうか。
 身構えたとしても、失語症者が伝えている内容を汲み取ることができなかった時、まるで自分の対応が悪かったと責められているような思いがするのではないだろうか。
 失語症者のご家族が「伝わらないからって、私が悪者みたいに怒られる」と話すのを、筆者も聞いてきた。
 説明相手がどのように失語症者を受けとめているのか。それを把握しつつ、失語症者の状態を説明する。自身に求めるスキルが高くなっていく。
 ここまで述べたことを一旦まとめる。
 ある失語症者の状態を説明するときに、筆者が自身のスキルとして求めることがいくつもあった。個別の失語症者の症状、対応方法、心理面を説明しながら、さらにその相手がどのように受け入れているかを測らなければならなかった。
 一言で「失語症(者)の説明」と言うものの、説明の範囲が広く、相手の状態に合わせて説明する必要がある。
 振り返るべきは、医療者として失語症者の障害を説明することに尽くしてきたが、このために、失語症者を意思疎通が困難なために近寄り難くさせ、ネガティブさというレッテル貼っていたのではないかと懸念されることである。


注1:失語症者のみならず、周囲の人たちを含めての様子であるため「状態」ではなく、「状況」とした

参考文献 
1) 伊藤亜紗 目が見えない人は世界をどう見ているのか 光文社新書 2015




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