話題についていけてないのを自覚した
民放とNHK、テレビ放送を見なくなって結構経った。
たまにテレビのスイッチを押してどんなんやってる?と見てみるも、ガヤガヤとうるさいばかりで、すぐ消してしまう。
会社で、お昼の休憩時間や仕事中にちょっとした雑談をする時に、相手の話がだいたいテレビやドラマの話なので、わからない、ということが多くなってきた。
両親は相変わらずテレビに一日中かじりついているので、番組やニュースで知った話をしてくるが、その話題、もちろんわからない。
世間の事を知らない私は、視野が狭くなっているのではないかと思い、そんな時はインターネットで調べてみるが、深く知るほどではない事柄だなと思ってその記事を追いかけるのを辞める。
北野武さんが襲われたことや、皇室の問題、パラリンピックの話題、フェス開催の批判、ちらちら聞こえては来るけど、知らなくても私の生活には何ら支障はない。
知らぬ間にコロナ感染者数も変化があったようだが、数に振り回されるのももう飽き飽きだ。
またまた知らぬ間に、総裁選とか言って政治がお祭りになっているが、なんだかそれも知りたい気持ちにはならない。
株価が3万円ってのには食いついたけど(笑)
情報が多すぎる現代。
自分で取捨選択していかないと、情報に飲み込まれそうになる。
テレビは見ないと言っても、ネット上にあるニュースは目にするからあふれる情報を捌くのはなかなか難しいのだけども。
今の情報、見たくない聞きたくないネガティブなものが多い。
テレビを見なくなった弊害は、人との雑談で話題についていけないことだけど、その程度である。
さりとて困らない。
その話題を知らなければ、相手に尋ねればいい。
その話題を調べに行く手間が省けるってもんだ。
人付き合いは限られ、マスクをしなきゃバイ菌みたいな目で見られ、できるだけ人込みを避け、旅行どころか外食もしづらい(する気持ちにもならない)この1年。
感情死んでしまうわよねぇ。
実際、気の毒なニュースを見てしまったとしても、以前のように感情を揺さぶられることもなく、淡々としている自分が怖いこともある。
だから、そんな時は、何かに没頭するのだ。
noteをひたすら書き続けたり、心理学の勉強したり、マインドフルネスしたり、ネットフリックスでゾンビ見たり(笑)
ささやかなる息抜き。