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湯船ゴシゴシ

以前も書いたけども、両親は元々綺麗好きではない。

不潔、とまではいかないにしても、綺麗好きではない。

私も2年ぐらい前までは、汚れ具合はこんなもんだろうと、両親程度に気にもならなかったのだが。

いや、この状態違うだろこれ汚いだろ、と思うようになってきたし、今までは平気で暮らせていた家、逆に家の汚さが目につくようになってきた。


断捨離がきっかけで、私は綺麗に清潔に生活する快適さに目覚めてしまったのだ。
更に歯を治療したタイミングで、【歯を磨くと光る→歯以外も磨くと光る】ことに快感を覚えてしまったのだ。
月一廃棄処分になる歯ブラシの有効活用も兼ねてだな(笑)


ガッツリ掃除をしなくても、日々気がついた所をマメに綺麗にするだけで、掃除の労力はさほどかけずに済む。
だから、シンクと洗面所とお風呂とトイレの水周りはマメに掃除している。


のだが。


どれだけ綺麗にしても、次見たときにゃ汚れてる洗面所とお風呂、特に湯船。
湯舟の内側のザラザラがどうしても許せない(笑)
そのザラザラに気付いてしまった日は、すでに湯をはられていたとしても、お湯を抜いて湯舟を洗ってから再度、お湯をはる。
ゆっくり湯に浸かる気分にならない、のですぐ洗ってしまうのだ。
湯舟、本当は毎日洗いたいのだけど、体力的に無理っぽいので2,3日に1度は洗う。


今となってはこうやって湯舟のザラザラが気になって仕方ない体質になってしまったのだが、こうなる前はどうだっただろうかと考える。
お風呂掃除って月一だったのかなぁ、もっと間隔開いていたかも(;'∀')

考えたら怖くなってきた。






以前は、洗面所が汚れていたら

どうして、汚れをそのままにすんねん!
あと使う人の事考えろや!

と、両親に対してイライラが止まらなかったが、最近は【無】になることを覚えた。
高齢の両親にガミガミ言うのもしんどいし、いい気持ちもしない。
それに、両親と私の「清潔・綺麗」の価値観が違うのだから話をしても交わらないだろう。
こうやって、私が言いたいことは心から流して無になり、洗面所などを清潔に保つのは、自分が淡々とすればいいのだ。

両親はこれからも当たり前のように汚していくだろう。
そうやって70年以上生きてきてるんだ、汚いとも思わず使っている価値観を今更変えろなんて酷でもあるし、目の悪い高齢者に無理な部分だろう。


今までは、褒めて欲しいとか労って欲しいとか欲が出ていたけれど。
こうやってきれいを保つことは、誰のためでもなく自分が快適に使いたいだけのことだと気づく。
そう考えれば、気持ちも穏やかだ。(今はね。🤪)


今日も無で洗面所を、湯船を洗うのだ。



なんの修行?きっと徳を積んでるはず。𓀀(笑)