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[シ的投稿03]ひび割れたまま生きていく

私の心にはトラウマが身を潜めて眠っている。
だいたい眠っていてくれるのだが、ときどき目覚め、荒ぶり、心を波立たせる。

つい最近も、急にトラウマに関する夢を見た。
夢の中で心がバラバラになりそうになって、助けを呼ぼうと叫んだら、本当に声を出していて目が覚めた。
連れ合いも心配して飛び起きたが、夢の中身は伝えずに、ぶるぶる震えるような思いで眠った。

トラウマというのは、言葉にできないときもあるし、言葉にしないほうがいいこともある。
今は少しだけ、(でもぼかしながら)言葉にしたいなと思ったから、これを書いている。

トラウマに対する特効薬はなくて、いつも全然大丈夫なのに、ある日は誰かに優しくされたり、気に掛けられたらすぐにでも大声で泣き出しそうな気もする。

私は、焼き物(陶磁器)が好きなのだが、こんな心持ちを、ひび割れた器みたいだなと思う。
トラウマで一度割れてしまった心は、暮らしの積み重ねや誰かと時間の中でなんとかつなぎ合わせられ、元の形に戻ったように見える。
でも、よく見るとひび割れは残っている。

じゃあ、ひび割れた器はもう使えないのかというと、そんなことは無くて。
「貫入(かんにゅう)」というひびを模した模様を施した陶器はとても美しいし、割れてしまった器をつなぎ合わせる「金継ぎ」という技術は素晴らしいものだ。
こうやってひびが入っても何度も手入れをして、慈しみ、一つの器をずっと使い続ける。
トラウマに晒された心も、何度もケアをしていたわって、ずっと付き合っていく。
そういう営みを、生き延びることなのだと思いたい。

私の心は、残念ながら、病院へ行っても、薬を飲んでも、ふと風が吹けば涙が出てしまうようなままで、きれいさっぱり治ることはない。
でも、お腹いっぱいご飯を食べたり、喫茶店で店員さんに優しくしてもらったり、久しぶりに会った人とおしゃべりをしたり、大切な友人の吉報を聞いたり、好きな音楽を聴いたり、好きな人が幸せそうな顔をしているのを見たり、そういった積み重ねで、ひび割れた器を手入れし続けて、なんとか生きている。
きっとこれからも、そうやって生きていける。

同じようにひび割れた心を抱える人へ。そして、焦ってしまう私へ。

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