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「あなたのストーリーを一本の記事に」…を岡田知子さんにしてもらった件

友人に、岡田知子という人がいる。
ひとことでいうなら「クレバー」な人だ。


頭がいい。頭の回転が速い。
いろんなことに興味を持つ。
だから話題が豊富で、話していても話が尽きない。
そして家ではほぼ猫のしもべをなさっている。
稀有な人だと思う。


2019年秋、小木曽絵美子の写真展で、受付を手伝いに来てくれて知り合った。初めて会った時から話しの上手さとテンポの良さ、多分意図して出してはいなかったけれど、滲み出るニヒルに世界を俯瞰している様子に、「この人好きだ…!」と思っていた。

ところがその翌年ライターの修行をしに鎌倉方面に1年間の一人(と一猫)暮らしにいってしまい、二人ではじめてご飯を食べに行くようになってまだ1年である。


ともあれ、そんな友人の岡田知子女史にインタビューをしていただいた。


インタビューというのだろうか、ただ楽しく数時間、私が話をあっちへ飛ばしこっちへ飛ばし、冗長に説明し…という、もし私が聴く側だったらとても苦行だったろうなぁと感じる時間を、「うんうん」と、ときに「えー!?なにそれー!」と、楽しみながら聞いてくれたのだ。

つまり、愛が深い。

いろんなところに興味を持つといったが、人に対しての興味がとても深いのだと思う。そして、インタビューを書くたびに、インタビューした人のことを深く知り、さらに好きになるそう。

愛が深いのである。(二度目)


私も人から話を聞き、短編小説にする『Monologue』というメニューを持っているが、私のやり方とは全く違う。


「人生で最初の記憶は?」からはじまり、幼少期、学生時代、そして現在まで、とにかく長く人生の物語を聞き取ってくれる。
話に詰まれば水を向けてくれるし、面白いと思ったら深掘りしてくれる。合いの手がうまい。

そのなかで大事にしていることやハマっていることにも言及し、そうなれば話し手も熱を帯びてくるから、どんどん話が長くなる。


その膨大な量を録音して、文字起こしをして、そしてまとめる。なかなかできることではない。

私などはせいぜい5000字程度の短文書きなので、この量を1つの文章として構成するのは本当に尊敬しかない。


幼少期から話を聞いているうちに、話し手はいろんなことを想い出すのだという。インタビューの時間が終わってから、「そういえばこんなことがあったのを想い出しました!」と連絡がくることも、一度や二度ではないらしい。


閉じていた記憶の蓋が開くのだろう。

かくいう私も、話を聞いてもらってしばらくの間は、過去のいろんな出来事が頭の中を走馬灯のように流れては消え流れては消えていった。

そういえばそんなことあったなぁと、インタビューに入れるまでもないから連絡はしなかったけれどまあ出るわ出るわ。


聞いたところによると、人間、記憶というのは消えることはないらしい。

乱雑にしまい込んでどのタンスにしまったのか忘れたり、大事だからと鍵をかけたはいいけれど、鍵をなくしたり、そんなふうに探せなくなることはあるけれど、とにかく消えることはないという。

そういう過去のタンスの古い記憶たちを取り出して並べ、虫干しして風を通す。そうするとグジグジと湿気って重たくなっていた記憶たちが乾いてただの記録として整理できる。

彼女に話を聞いてもらう時間というのは、そういう時間だったのだと思う。

少なくとも、虫干しのために外に記憶を並べる時間だった。話しすぎたせいでまとまらなかったから、虫干しまで行かなかったけど。

整理整頓が苦手で洗濯物を畳まない系の私は、そのあとも鬼のように大量に出てくる過去の記憶たちに翻弄され、棚に入れなおすのに半月ほどぐずぐずもやもやしていたけれど。


ともあれ、出来上がった自分の記事を読んで思ったのは、「自分、頑張ってたなあ」という感慨と、起業家だから、とか、個人的な活動をしてるから、とか、そんな理由で申し込むのはもったいないということだ。

つまり、そうじゃなくても申し込んだ方が絶対いい。

主婦でもいい、フリーターでもいい。
自分のストーリーを客観的に見るというのは、やはり、違う。

元は自分の口から出た話であっても、それを再構成されると、なるほどこの話はあそこに伏線としてつながっていたな、とか、自分の人生の整合性が取れる(ように感じる)のだ。

この、(ように感じる)というのが実はとても大切で、人間は認識でできている生き物だから、自分がそうだと思ったら「そう」なのである。

だから、自分が「整合性がとれた!」「この過去は現在にこうしてつながっている!」そう感じられたら、もう最強なのだ。


だからこそ、自分のとっ散らかった過去を人に聞いてもらい、なおかつその聞いてもらった人というのが岡田知子女史の場合、さらに客観的にストーリーとして一つの記事にまとめてくれるのだ。

高校や大学のときには就職活動などで自己PRだの履歴書だの、たった10年20年の記憶について、さまざまなことを振り返る時期があるが、大人になるとどんどん記憶は増えていくのに、振り返るべき時期がない。

だからこそ、あえて自分でこうして振り返る時間をとるというのは、最高に自分のための時間とお金の使い方なのではないかと、そんなことを思うのである。

そして、その膨大な記憶をまとめるのを、彼女は愛を持ってやってくれる。それがとてもありがたいと、そんなことを思ったのでした。

書いてもらったのはこちら。
我ながら、内向的な人間なので、特に大きな事件はないのだけれど、それでも、今に繋がってるなと思えた。

頼んでよかった。

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