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神社は「空っぽ」を体感する場所である

近頃、丁寧な暮らしというのを心がけている。

…なんて、かっこいいことを言ってみるが、たいしたことではない。

最近読んだ本『運動脳』の中に「心拍130~150程度の強度の運動は脳活にいい」というようなことが書いてあったから、毎朝町内の神社まで散歩に行くことにしたのだ。

スピリチュアルはインスピレーションの言語化でもある。
そうなると、とっさに適切な言葉が出てくるかどうかというのはけっこう大事なのだ。

脳の劣化に関しては、かなり気になる。

というわけで、「とにかく家を出る」という低い目標を持って家から徒歩六分の神社まで散歩することに決めたのである。

(ちなみに本では「1回につき20分以上の運動」が推奨されているから、時間としては全く足りてない)

携帯も持たず、ただ家の鍵だけポケットに入れていく。
極力空っぽの状態で歩く、身軽な散歩である。

が、これが結構良いかもしれない。と最近思っている。


ちなみに、寺社仏閣は大好きだが、毎日神社に行くのがおすすめかというと「行きたくないなら行かなくてもいい」と言い切るタイプだ。

私自身も今までは100日参りなど「連続記録を目的とするお参り」はあまりしてこなかった。

そもそも、いつも「神さま」が常駐しているような神社はそうそうない。そうなると、「行けば必ずこうなる!」というご利益があるわけでもない。
手を合わせるなら、家で毎日神棚なり仏壇なり自分で作った祭壇なりにお祈りしているだけでも十分だったりする。

毎日神社に行ってお祈りしていたら願いが叶ったという話もあるけれど、人間の強い想いというのはそれを持ち続けているとだいたいチャンスに巡り合うようにできている。

毎日神社で手を合わせながら「自分はこういう人物になるので見ていてください」と祈っていたら、当然それが自分の潜在意識に入っていくし、潜在意識に刻み込まれたら、「そういう人間」の情報が目に留まる。ベンツを買うと決めたら、公道をベンツが走っているのをよく見るようになるという、よくある話と同じだ。

そういう意識の作用が働いて、結果願いが叶うということが多い。
だから、「神社=願いを叶えてくれる場所」というのは少し違う。

どちらかというと、神社というのは「整えられた場」としての役割が大きいのだ。自宅に祭壇を作ろうと思ってもせいぜい部屋一つだろうが、ある程度の神社の場合、境内と鎮守の森がセットでついてくる。

境内に基本的には人工物を置かず、神さま以外は「いない」状態を作ろうとしている。というか、いつでも神さまが降りてこられるように「空っぽの状態」にしているというべきか。

エネルギーは、満ちていると別のものは入る余地がない。

空き地に車が止まっていたらそこで子どもが遊べないのと同じで、神社がごちゃごちゃと物であふれていると神さまが入る余裕がない。

だから、神さまがいつでも来れるように「からっぽ」で満たしている。そういう「整えられた場」というのが神社の役割であり、魅力である。

「歴史は空白を許さない」という言葉があるけれど、実は「空っぽ」な状態を維持するのはけっこう難しい。空白は何かが必ず入ろうとするし、埋めようとする。かならず「何か」で満ちようとするのだ。

それを、あえて人工的に整えて「空っぽの状態」にし続けている。
そういう稀有な場所が、神社という空間なのだ。

そして、それは現代人たる私たちにとんでもなく利益がある。

私たちはとにかく頭の中に情報がつまっている。
不安やいらだちといった感情から、今日の会議のメールを打たなきゃいけないとか、帰りにはたまごを買って帰らないと…といったタスクから、とにかくいろんなことが頭の中に入っている。

仕事に行けば資料とパソコンの山。
左右に同僚。少し離れた島には上司もいる。
私たち自身も常に情報を放出しつづけている。

人と会うだけでもその情報を読み込んでしまうのだ。
(だから繊細な人は人に会うだけでしんどくなったりする)

そういう、情報だらけの世界から、何もない空っぽの世界に移動できる。
それが現代人にとって神社の最大の魅力ではないかとおもう。

もちろん、登山をしたりハイキングをして自然の中に身を置くのも同じような効果がある。でも、ちょっと身近ではないから行けるとしても休日のリフレッシュぐらいだ。

神社は身近な存在だ。
その神社が好きか嫌いかは置いておいて、日本なら自宅から散歩で行ける距離には神社があることの方が多い。
もちろん、祠だけしかない小さな神社も多いから、一概に身近とは言い切れない。

神社を整えてくれる人たちは、社務所をかまえる有人の神社でない限り、多くの場合地域住民のみなさんなので、そういう人たちがいない神社は残念ながら「整っていない」「空っぽになっていない」場所もある。

そういう場所は、ぞわっとしたり、なんか嫌な雰囲気だったりする。
神社に入ってすぐに「なんかちょっと怖いな」とか「ぞわっとするな」と思うなら、無理はしない方がいい。

でももしも、家の近くや散歩で行ける距離に神社があって、そこが気持ちよい場所だと感じるならば、ぜひ「からっぽ」を感じるために散歩にでかけてみるのはいかがだろうか。

運動のおかげも相まって、きっと頭や心がすっきりするに違いない。

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