私の過去 10代の悲惨な日々とこれから

前を向かないといけないことはわかっている。でも、どうしても、あの時死んでおけばよかった。と何度も思う。死んでいれば、今苦しい思いをすることはなかったのにと。

苦しい思いも無駄ではなかった。細かく言うならば、溢れんばかりの感情が浮かんでは消えてをくり返えして疲れてしまった。今は「彼氏」と呼べる人ができて幸せで、でもこの感情や関係性がいつまで続くのかと不安になったりもする。いつまでも未来は「不確か」でなにが起こるか分からない。その事実を受け入れなければならないのだろう。でも、でも、、、そんな反駁、反証を繰り返して私の脳みそはパンクしそうだ。でも生きている。今、ぎりぎりには見えないかもしれないけど、経済的には満足に生活をさせてもらって生きている。
25歳までは生きると決めた。その自分で決めた「限られた命」「有限の時間」を頑張ろうではないか。おや、私は死んでおけばよかったと言いながら前向きではないか。そう、自分でこの年になったら「死んでもいい」と決めたからこそ少し楽になれたのだ。後ろむきではない。これは前向きな気持ちの一歩。


では、昔のことを書き出そうではないか。

一言で言うならば「悲惨」そのものだ。


中学生から高校1年まで
電車を見るたびに飛び込みたいと思った日
車に当たって死のうとした日
天井をみつめては虚無感と無力感でいっぱいになって死にたくなった日
私にはどこにも居場所がなくて、狭い自分の部屋しかなくてネットの中で息していた日
スクールカウンセラーに同情された日
精神科に連れて行かれた日
ADHDと診断された日
誰に何を話しても何も解決できないと悟った日
母親が不倫していると知った日
信じられることは何もないのだと知った日
学校にいけない日が続いた日
朝が来るのが怖くて仕方なかった日
ずっとずっと真夜中だといいのにと思った日
友達が友達に思えなくなってきた日
学校に行かないことを父親に責められて、怒鳴られて、どうしたらいいのか分からなくなっていた日
なぜ学校にいかないといけないのか分からなくなった日


毎日が灰色、いや真っ暗闇で私は独りぼっちで布団の中で泣いていた。
出口がないトンネルの中。本当にそんな感じだった。
私には、泣くこと、本を読むこと、音楽を聴くことしかできなかった。

なぜ生きているのか、死んではダメなのか、
人生とは何か、分からなくて、分からなくて、本を読んでいた

そんな時に見つけたのが、

この本だった。
この本は私にとって、「光」だった。今まで闇の中でぐつぐつしてた疑問が雪解けのように解けていった。

けど、私が生きる意味 
は何も見つからなかった。

存在論
私が存在していていい理由

そんなものは見つからなかった。

そんな時「問題児求む」の記事をインスタグラムで見つけて、転校すると決断した日が訪れた。

高校生

転校することを決めてから入学するまで、私は昼夜逆転の生活で、本当にネットの中か自分としか話していなかった。

中高一貫の高校を辞めて、できたばかりの高校に入った日

人との関わり方が分からなくて、けど、話したくて、怖かったけど、なんとか、人と話していた。
家に帰ったあと、あの言葉は適切だったか、不適切だったかいつも自問自答していた。
独りよがりだったと思う。けど、だれも否定しないで聞いてくれた。
それだけで嬉しかった。

初めての家出をした日。

祖母の家に行った。このままでは自分がダメになると思って。環境を変えないとなにも変わらないと。でも、それでも、ダメだった。何も変わらなかった。朝起きられない私を家族はまた責めた。

「なんで起きられないの」「どうしてなの」

自分でも分からないことを聞かれても分からなかった。聞かれるのが辛くてまた家出をした。

友達の家に泊まった日

楽しかった。今でも友達と呼べる子だと思う。これからも。

下北沢の家に引っ越しをした日

一人になれて嬉しかったけど、寂しくて、まだ、
私が存在していていい理由
は見つからなかった。
存在してはいけない理由ばかりみつかった。

家に私一人だけを感じる「寂しさ」を初めて感じたと思う。

初めてお酒を飲んだ日。

気分が高揚するのがわかった。辛い気持ちがほんの少しだけ和らいで、現実から目を逸らすことができた。

夜下北沢を歩いていると声をかけてくれる大人がいた。

私は大学生だと嘘をつき一夜をともにしたり、しなかったりした日。

浮気相手になったりもした日。

本当の愛はあるのかと疑問に思った日。

ネットで知り合った人と付き合うことになった。
私から付き合ってといった。
「付き合う」ということを体験してみたかった。
けれど、私は一緒にいてもいつも心ここにあらずでどこか遠くを見つめていた。
彼といても、一人だった。
だから、浮気をした。
彼を傷つけた。とても、とても、傷つけた。

私は人を傷つけたことが自分で許せなかった。どうしても。
こんな人間生きている意味がない。心底思った。


寒い冬、小雨がふる夜20時頃、溜め込んでいた薬を9%のお酒で全て流し込んで歩道橋から飛び降りようとした日

この日がやってきた。私の人生のハイライト。なんてね。
こんな薄汚れている人間、ただお金だけを消費する人間なんていない方が世の中全体のためには良いことだろう。そう思えた。
あと少しだった。飛び降りる前に私は意識が飛んで倒れていた。
救急車に運ばれて、気付けば真っ白い天井。両手両足を固定されていた。

精神病院に入院して、訳もわからず泣いていた日

桜を独りで眺めながら、誰か、できれば好きな人と一緒に眺めたいなと願った日

ここにいても私は絶対に良くならないし、何も変わらないと思った。
ただ、ただ、薬だけが増えていった。

退院して私は松濤の学生マンションに一人で住んでいた。
とりあえず、バイトを始めて、自己分析をして、自分で自分を癒すことを始めて、自分と向き合った。
向き合う中でやりたいことも見つかった。

精神医療を変えたい。
私と同じような境遇に合う人を一人でも少なくできるような仕組みを作りたい。
そのために学ぼう。大学に行こう。
浪人生活が始まった。

志望大学は慶応義塾大学総合政策学部。世の中を変えるには「政策」か「テクノロジー」この2つであると知った。だから私は政策の分野で精神医療を変えたかった。何か変化を起こしたかった。

浪人中ではあるものの、夜渋谷の街を歩きまわっていた。

クラブであった人を好きになってしまった日

初めは好きになるなんて思わなかった。
けど、彼は私の「助けを求めようとしてるのに誰にも、助けてとは言えない孤独」を見抜いていた。そして寄り添ってくれた。
だから、私は彼の優しさにいつしか包まれて、少しだけだけど、前が見えるようになった。

彼は既婚者だと改めて知った日

既婚者だと知っても、何も思わなかった

彼の前では自然と笑顔になれた。
けど、彼と別れた後の私の心は少しだけ泣いていた。


妊娠しているとわかった日

彼に相談する前に私は堕すと決めていて、何も迷いなんてなかった。
けれど、心の片隅に彼との未来を想像していたと思う。
その未来は訪れることはないのにも関わらず。

未来はないと分かったからLINEで別れを告げた。

医者の彼氏ができた日

たった3ヶ月で別れてしまった。
セックスレスになって、大切にされているかわからなくなって、、、
私のこと大切に思ってる?と聞いたらテレビを見ながら、うん。と答えた。
それをみて、こんな人とは付き合えないと思って別れた。

別れて、人恋しくて飲み屋で色々な男を引っ掻き回した。無意な時間だった。私は弱かったのだ。自分一人の時間をどう過ごせば良いか分からなくて、寂しくて、寂しくて、もがいていた。
未来に対しても不安だった。

既婚者の彼から半年ぶりに連絡がきた。戸惑いと嬉しさが混ざりあった。
また彼と会う生活が始まってしまった。

妊娠しているとわかった。
今度の妊娠は誰の子なのか分からなかった。
誰の子か分からなかったけど、既婚者の彼だったら産みたいと思ってしまった。シングルマザー

僕がもし独身だったら責任を取っていたと言われた日
けど、手術が終わった後、私はまた彼の前で笑顔ではいられないと思い別れを告げた。
長文の手紙を書いた。最後にさようなら。愛しています。と述べて。



好きな人の浮気相手になった日

私とどうしたい?と聞いた日
別れるから付き合って欲しいと言われた。

クリスマス一緒にいてくれなくて喧嘩した日

バレンタイン
僕と付き合って欲しいと言われた日


楽しいこともあった。辛いこともあった。辛い日の方が何十倍も多かった。
だから、これからは、幸せだと思えるような日を1日でも送りたい。
そして、私と同じような境遇にいた人の助けになれるような仕事をしたい。
それだけなのにな。
どうして、私の中から「死にたい」は消えないのだろうか。
それでも、今日はやってくるし生きている。
消えなくても、私の一部分だからそこも大事にしていきたい。




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