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私はまだ若いのだと思う

若さというのは、人生を変わりうるものとして俯瞰してみることが難しく、今の状態がずっと続くんじゃないかと怯えてしまうことなのではないかと思う。

4月の1ヶ月は環境変化がまあまああって、仕事も、私生活も、4月の状態をずっと続けることは精神衛生上難しかったと思うのだけど、気づいたらなんとかなってた。

多分、日々身の回りにはいろんな変数があって、状況は刻々と変化しているから、辛い状態が永遠に続くということはないんだと思う。

でも若いからこそ、瞬間的な苦しみがずっと続くような気がしちゃって、絶望したりする。

こんなこと、大変さの渦中でもわかってたけど、そのように考えられるからといって、実際の感じ方を変えることができるわけじゃない、とも思ってた。

まるで持久走のようだわと思った。

持久走で走っている時、この苦しみはこの一瞬だけのことなんだ、とわかっていても、苦しい事実は変わらない。
ある瞬間では、目先の苦しさに飲み込まれて、全てを投げ出し、その場に倒れてしまいたくなる。
そんなふうに内面で葛藤が繰り返されているうちに、気づけばあとゴールまで数百メートルのところに来て、全神経を奮い立たせてなんとかゴールする。
ゴールしてから息を整えて、水を飲んだりなんかして少し落ち着きつつ、走っていたときのことを振り返ると、ああ、諦めず頑張ってよかったな、と思い、いい思い出になったりさえする。

でも持久走を乗り切れるのは、走る前に走る距離が決まってるからだよね。美談で終わるのは、途中で自分の意思とは関係なしに倒れずにすんだからだよね。

でも持久走とちがって、現実の世界では、苦しい時期がいつ終わるのかわからないということが、苦しい要因にもなりうると思った。
苦しさを乗り越えられるという体験をしてしまった人は、今回も乗り越えられるはず、と思って、耐えきれない程の負荷を自身にかけてしまう傾向もあると思った。

辛いことを乗り越える経験を美化するんじゃなくて、そもそものところで辛いことなんて、出来るだけ回避して生きていたいものです。

成長できたのは辛い経験のおかげ、という美談を語る大人がいたら、すごいですね、と聞いてあげてもいい。そうなのかもしれないし。
でも、その逆、辛い思いをしないと成長できない、という話にまで発展させてきたら、論理が飛躍していますよ、証拠は?と、しっかりと歯向かいたい。

私はまだ若いのだと思う。

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