ジェンダーからみるスウェーデン社会

スウェーデンで、ジェンダーについて多様性を感じる瞬間はありますか?という質問をもらいました。

というわけでジェンダーというトピックについて書いてみます。


前提として、スウェーデン人曰くこの国は、ヨーロッパの中で最も宗教色が薄い国だそうです。

日曜日の礼拝という文化もないし、プロテスタント系は規律の多いオーソドックスやカトリックに比べてゆるめなのが特徴らしいですね。


この前ジョージアについての講演を聞いたときは、同じキリスト教でも宗派のちがうジョージア(オーソドックス)では、いかにLGBTQの人々が生きづらい社会となっているかが紹介されていました。


このサイトは、そんなジョージア社会をきりとる写真家のウェブサイトです。
これはシェアせずにいられなかった。



本題に入りますが、スウェーデンではLGBTQの人々はそこらにいる(らしい)し、パレードなんかもあります。キリスト教色が薄いことが影響していると思う。
自由とか、人権、といったものに対するスウェーデン人の意識がめちゃ高いなあと思う場面はたくさんあるけど、性や社会的性別に関しても例外ではないようです。


ジェンダーというと、男女の役割といった話になることが多いけど、確かにスウェーデンの男女平等システム、社会はすごいです。

又聞きした話によると、議員の議席は女性と男性で半々になるようにそもそも決められているとか。
日本でこれをやったらアファーマティブアクションとかいって叩かれそう。

さらにビジュアルで驚かされたのがこのリンクの写真たち。


お父さんが育休を取るのはお母さんが育休を取るのと同じくらい当たり前、女性が料理するのならば男性も、といった感じで、「性別」が役割や行動の理由にならないことに驚いている自分がいて、自分が驚いている事実にもまたびっくりです。ここは、性別には社会的な意味はない、と本当に言い切っているような社会です。


あと話は逸れますが、びっくりしたのが、結婚と家族は別だということ。


あるスウェーデン人の友達の両親は、彼が20歳の時にやっと結婚したらしい。
彼曰く、結婚してなくてもお父さんはお父さん、お母さんはお母さんだし、家族であることは変わりがない。

日本では恋愛結婚もあるけど、それをプッシュする要因としては、「老後のために貯金しないと」とか「生涯のパートナーを見つけないと不安」という、半ば必要に迫られてする感も大きいのではないかと思う。


だけどスウェーデンでは社会保障があるし、結婚は象徴的なものらしい。
「教会に行って愛を誓うことが結婚でしょう。特定の場所で言葉を交わして何が変わるんだ?変わらないよね。」という言葉が衝撃的でした。



ジェンダーの話に戻ると、女性はこれ、男性はこれ、っていうのが当たり前すぎて、その既存の社会的規範の上に生活していることに気づかなかったのだなあと改めて感じさせられました。結婚観にしてもそう。

日本の社会をスウェーデンと比較するからこそ見えてくるものがたくさんあります。


だから、スウェーデンは女性の権利向上を唱えるフェミニストにとっては理想社会に近いのではないでしょうか。わからないけど。


こちらで見た女性の権利向上団体は、職場とか家庭での女性の権利について触れているのではなく(なぜならそれはもう達成されているからだと思う)、性的暴力とか女性の「身体的な弱さ」につけ込んだ犯罪を防止しよう!という団体でした。

ある団体は美術館で展示を行っていて、性的暴力を受けた人がその日に来ていた服の等身大写真を並べて展示していました。これはインパクトが強かった。

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ここまでスウェーデンにおけるジェンダーというトピックで語ってきましたが、私はあまのじゃくなので、スウェーデンのジェンダー観バンザイ!って感じには締めくくりたくないんですね。笑

多分、今まで日本で女性として生きてきて、私は社会的に不自由を感じたことがないというのがその原因です。


日本女性の奥ゆかしさとか、男性を立てる姿とか、昔から伝統的に形成されている日本におけるジェンダー規範も、私にとっては美しく見えるんです。歴史を参照すると、少なくとも昔はそういう女性の姿が多く見られていたはず。案外保守的なのかもしれません。
一方、社会の発展に従って女性も社会進出するようになって、社会においては性別の持つ意味を問い直す必要が出てきたということだと思います。


私のような意見は現代において少数派かもしれません。女性なのに、あんまり「女性の権利向上」というトピックについて熱が入らないのは恵まれているからでしょうか。

これからは、女性だからこそ、そういったことを訴え輝いている女性たちの声を、もっと聞いてみたいと思っています。