スウェーデンから学んだこと

留学どうでしたか?何を学びましたか?って質問に対して、そんなの一言で言えるわけないよおおおおって、心の中でツッコミを入れることが多いです。
でもそうは言っても、自分の中で言語化しておくこと大事だなって思うし、留学直後に振り返ったものと、また違った感覚が得られつつある気がして、振り返るのを手伝ってもらいました!

ではいきます。

Q. 日本がスウェーデンから、また、スウェーデンが日本から学ぶべきことは?

まず、一番違うのは、どれだけ個人主義の生き方が根付いているかどうかな気がする、という話になった。

個人主義というものは簡単に定義されるものではないけど、ここで言いたいのは、自分の意思を持って、自分の責任のもと、自分の頭で考えた判断軸のもとに、自分で行動するということです。

日本に生きる人々は、圧倒的にこれが弱い気がしてる。


数ヶ月前に、2020年芥川賞を受賞した遠野遥の『破局』を読みました(おすすめ)。

この時の書評には、「自律的に他律的」という言葉が使われていたけど、日本の人(?)って、「社会的に決められた規範(=他律的なもの)」をそのまま自分の判断軸にして(=自律的に)生きている人が多い気がする。

特に、キャリアや幸せといった文脈において、もうすでにできている成功例をそのままなぞることが美徳とされてる。

すでに誰かがやったかっこいいことを、そのまま真似できるのがかっこいいなんて、本気で思ってるのかしら。


とはいえ、外資系に就職する人とかを「あいつはそっち系の人間だ、お金しか見てない」ってラベリングするのも好きじゃないし、私の定義の中の、個人主義じゃないあり方の一つ。
(ここまでもこれからも、日本人は〜とか語ってるから、一般化して喋りすぎなのは重々承知だけど、そこは大目にみてください。)


拝金主義やってる人も、もしかしたらスーパーリッチになるって夢とか、地位を築いて世の中を牛耳りたい欲とか、貧しい家庭に育った反動とか、その人なりの動機があるのかもしれない。だとしたら超潔い選択と人生だと思うわ。

だから、一概に語るのは非個人主義社会の悪い癖のひとつ。


それで、今までは「日本がスウェーデンから学ぶべきこと」みたいな話をしていたけど、今までのことの反対が、そのまま「スウェーデンが日本から学ぶべきこと」にもなるって話になりました。


つまり、他人の責任を取らなくてもいいし、他人が決めた「良さそうなもの」を盲目的に受容するのではなく、それは自分にとっても本当に良いものか考える、ってあり方は、一見なんだかとっても良いように見える


けど、個人に自由と裁量が与えられているってことは、「自分にとっての良いもの」を自分で決めないといけないってことにもなる。これってすごく難しい。


実際、若者の人生に対する満足度でいったら、日本は全体的にとても高くて、ヨーロッパでは低いんだって。


世間的な「良いもの」が決まっていた方が、そのレールに乗りさえすれば満たされるわけだから、社会全体で見たら満足な人が多くなるのかもしれないよね。
酷い言い方をすると、問題になるのはそのレールに乗れなかった人だけ、っていう。


でもスウェーデンをはじめヨーロッパでは、レールがないぶん、本当に自分の人生はこんな感じでいいのか?ってぼんやりと不安を抱えて生きてる人も多いのかもしれない。


日本でも、世間のレールに乗らずに、自分の好きなことで食べていけるのがいいよね、みたいな生き方をする人もいるよね。

とはいえ、日本の場合は「好きなことで食べていく」っていうもの自体が、大衆に受容される生き方の成功ルートの一つになっちゃって、好きなことってなんだ、、?とか、自分の好きなことができていない!っていう辛さを生み出してしまっているっていう、さっきの構図に戻る。
(「”好きなことで生きていく”っていうYoutuber的な発想も、平成が生んだ辛さ」という名言が出た。)


一方スウェーデンや欧州の、好きなことで生きていくとか、自由に生きるというあり方は、意図的なものじゃなくて社会が慢性的に潜在的に抱えている構図。
上で述べたなんとなくの不安感とか、不満足感っていうのがそもそも認知されていなくて、それが事態をもっと難しくしていたりしなかったりするかもしれない。


Q. 留学生活で何が一番楽しかった?また、一番eye-openingだった瞬間は?

この質問、留学前だったら大真面目に一つ一つイベントを振り返って考えたかもしれない。

でも留学を通して、「イベントが楽しくて、それ以外は楽しくない」っていう感じじゃなくて、「そもそも日々を送っていることが継続的に楽しくてしょうがない!」っていう感じになりました。


だから、この質問自体も的を得ていないし、強いて言うなら、朝日がさしてきて今日も1日始まったな〜って思える瞬間とか、お気に入りのカフェでブラックコーヒーとケーキを広げてる瞬間とか、友達の家でみんなで集まっている時とか、そういう日常が全体的に楽しかった。

日本にいた頃は、自分がそのイベントに「参加すること」とか、そういう既成事実を作って、それらを「達成したことリスト」に入れていくこと自体が楽しかったんだと思う。イベントに参加している時も、得られるのはそこで何するかを通しての楽しさっていうよりは、ああ自分参加しているな、っていう、達成感?の方だった気がする。


その瞬間を瞬間として楽しむ方法のようなものを学んだのかなあって思います。


だから、一番びっくりした瞬間っていうのも、イベントごととしていちいち全部覚えていなくって、もう毎日がびっくりの連続だったっていう感じに近い。

スウェーデンと日本、人間の生活だからある程度共通項はあるけど、でも全然違う人々の考え方とか、生活習慣とか、一つの違いに慣れて次の新しい行動に範囲を広げると、また違うものが出てきて、、というのの繰り返しだった気がする。


Q. 留学に行っていない自分と行った自分、何が違う?


全部。

実際、一年前の自分と何が違いますか?って言われて、明確にこれとこれとこれです!なんて答えられる人いないんじゃないかなと思います。ええ。


でも一致したのは、人に興味がなくなったということ。

自分と、自分の大切な人たちが幸せだったらそれでいいなあ、っていう感じ。

その意味では、人に興味がなくなったというよりは、人からどう思われるかとか、世間からどう見られるかっていうのにあまり興味がなくなったっていう方が近いのかもしれない。


世間って、それ自体空虚な概念なのに、しかも世間って言って具体的に思いつく人たちはみんな自分的には別に好きでも嫌いでもない微妙な知り合いたちばかりなのに、なんでああも自分を縛っていたんでしょうね。


私自身、周りの人にどうやって自分に対して好意を持ってもらうか、というところに従来かけていた労力とか時間を、全部そのまま自分に注ぐようになって、だいぶ幸福感が上がったような気がしてる。


前は、人に囲まれているはずなのに、寂しくて孤独だなって思うことが多々あった。

でも今は、どんな時でも自分が自分に味方してくれるような気がしてること、あとは細く長く、もしくは太く繋がっている大切な人たちのことがよく思い浮かぶようになったこともあって、寂しいなって思うことはほとんどなくなった。なんなら、寂れた淋しいものとか景色を見るのが好きになったくらい。笑


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昨日考えたことは他にもいっぱいあるけど、他はもう少し温めたいのでこのくらいにします。


これらを振り返ることができたことは、私にとって何よりのクリスマスプレゼントだったなあってじんわりと思っていました。


私は、こっちの方がいいなって自分がぼんやり思ってることにまだ自信があるわけではないし、本当にそうかな?って思うことも多い。

何より、日本社会にはレールがある、って思ったとしても、そのレールに一番ちゃんと乗っかろうとしてる。でも、レールを進むとか、レールから降りるとか、その選択自体に盲目的になるのではなくて、今どんな気持ちがあるのかっていうところ、毎日大事にしていたいって思った。明日死ぬかもしれないし。