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頭を使って頭を使わない方法を考えた


幸せってなんだろうって考え続けている人は、自分がかわいくて仕方ない人なんだそうです。それな。

前提を疑いたい、形式ではなく中身の本質的な部分を重要視したい、常に変化を起こし続けたい、正義と悪を安易に二分したくない、そんな自分には行政機関は合わないだろうということをなぜ見抜けなかったのか…

いや、この選択自体は別に後悔してない…こうなることはどこかで分かっていた気もする…問題はこの先どうするかだ…

日々色々考えているおかげで、その時々でベストを尽くしているという謎の自信はあるから、過去の選択とか過去の生き方に対して後悔の念を持つことはない。これ取り柄です。

今の職場で一番問題だと思うことは、自分の頭を全く使わなくていいことです。
前例や慣習を覚えて、あとはいかに早くかつ効率よく物事を処理するか勝負。そのほか、多少の対人能力とかコミュニケーション能力はあった方がいいのかかもしれないけど、それも欠けている人が多い印象だから、別になくてもやっていける、あったら有利というだけ。

そもそも、私の言う、「頭を使う」ってなんだ?そんなこともわからなくなってしまうくらい、前例をいかに組み立てて形にするかについての仕事をしてる。
この仕事も見方によっては、頭を使っていることになるのかな。
でもやっぱり私的には、成果物の中身に対して、自分の思考とか感情とか過去の経験に基づくモノが一切含まれないというのは、やっぱり、頭を使う仕事には分類できない。

そうか。自分は自分の経験とか培ってきたものが成果物に生きると少しでも思える仕事がしたいのかも。それか、それは自分が単に何にやりがいを見出すかを言語化しているにすぎなくて、仕事とは切り分けで考えるべきなのかも。仕事は別にお金を稼ぐための営み、と割り切れるくらいの待遇が得られてほんのちょっと誰かの役に立ってる感覚があれば、続けられる気もする。
両方ないから苦しいのか。
よく考えたら、言うほど苦しくもないかもしれない。楽しいこともそこそこある。この先自分がこのまま進化をやめてしまうことへの恐怖、に近いのかも。

それで今日改めて一番思ったのは、私は自分のことが相当好きだということです。

とにかく、私は、自分の感情とか経験を自分だけの裁量で自由に表現できる活動として、火星を舞台で展開する人間模様を描いた小説を書いてみることになった。
つづく