自ら遊ぶ必要がないほど十分足りてる子ども時代ってあるよね
「最近の子は遊べない」と言われていますが、遊べないってどういうことでしょうか。
「遊びに行ってくる」と子どもは出かけて行きます。
なにをするのを遊びって子どもたちは思ってるのか?
そして何をしないから、大人たちは遊べないと感じているのか?
一方で遊び場に来た子どもに「遊びに来ました?何をしたらいいですか?」と聞かれることもたしかにあります。
遊んでいいのかどうか、わからないから遊ばない。
何をしていいのかわからないから、遊べない。
遊んでいいし、何をしたっていいんだけど、一部の子どもにとってはそれが難しいのが現状があります。
なぜ難しいのか?
いろいろ理由はあると思いますが、まずそもそも「なにしようかな?」と考える機会が少ないことも理由のひとつです。
「あれやってみたら?」「あれ楽しそうよ」「こうしてみたらいいのよ」
考えるまでもなく、親切な大人が何をしたらいいか教えてくれるし、その通りにやったら刺激的で楽しい時間が得られるから、困らない。
自分で考える手間も省けて、めんどくさいことはやらなくていいし、自分でやるより素敵にできるし、大人も喜ぶ。
失敗もない。
ある種のWin-winな関係が成立します。
大人に見守られ、十分に与えられ、苦労もない贅沢で幸せな至れり尽くせりの子ども時代かもしれない。
結果、自分で考えて、自分で決める、自分でやるという経験が極端に少ないまま「大人の目が少ない世界」である学校に行くことになる子どもが以前よりずっと増えています。
当たり前ですけど、学校は至れり尽くせりではない。
「入学しました、小学生になりました、はいどうぞ頑張って」って言われても急には無理です。そりゃそうです。
誰も自分を見てくれない、教えてくれない、やってくれない…怖いよね、嫌だよね。
大事に大事にされてきたからこそ、そうなっちゃう。
そういう事例もあるっていうことを大人である私たちが知ってるかどうかってとても大事なことだと思います。
目をかけて、手をかけて、心を込めてやる「子どものために」ないろいろはとてもとても大事なことで、でも諸刃の剣でもあります。
悩ましいことです。
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