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ふわふわとふわふわの衝突

遠くを見る

目の疲れを癒したくて遠くを見ようとした。バスに揺られる時間と、バス停から自宅まで歩く時間で目を休めようと思ったのだ。それは無為にブルーライトを浴びるより有意義にちがいない。思い立つまま、名案とばかりに顔を上げて気が付いた。避けようのない近さに情報があふれている。困ったな。
決めたそばからスマホを頼るのはなんとなく悔しくて、目を瞑って考えてみる。遠くって、どこだろうか。
目を開けば視界いっぱいにごった返す光や文字に勝手にピントが合ってしまう。開けた大通りの奥に視線をやっても、視界はぼやけた信号機や車のライトで騒がしくて目が休まる気はしない。人、車、看板、人、美味しそうなにおい、人、看板、車、自転車、人人人……
目を瞑ったままバスに揺られ、なるべく空に近いところを見ようと努めて歩く。目は休まったかもしれないが別の神経が疲れた気がしないでもない。
『遠くを見る  どこ』
帰って調べてみると、距離の問題ではなくピントの問題らしかった。自分にとってピントが合わなくなるところ、ぼやけはじめるところが『遠く』であるらしい。
つまり職場でデスクにつき、顔を上げた先にあるデスクの衝立が私にとって遠い場所なのである。幸いなことに衝立は深い緑色をしているので目を休めるのにちょうどよさそうだ。ぼんやりと衝立に目を向ける。視界の端にブルーライトがちらついて眩しい。遠くって、近い。


ふわふわとふわふわの衝突

我が家には猫がいる。高級な食パンのような色をした猫だ。猫は基本的に年中ふわふわした場所を求めて家の中を歩き回っている。ブランケットや毛布など、ふわふわとやわらかいものを見つければその上にまるくなる。
けれど家の中でいちばんふわふわしているのは彼女自身だ。
「ふわふわした体でふわふわの上に座るのどんな気持ちなんだろうね」
妹が、ふわふわの上で眠る猫を眺めながら言う。私も同じこと思ってた。
ある日私は猫と似た色のふわふわのスウェットを着ていた。猫は、スウェットに気付くと見たことのない甘え方をしてきた。仔猫みたいで可愛い。可愛いけれどもしかして、仲間だと思われているのだろうか。
これまでも彼女は仲間意識からふわふわを求めていたのだろうか…………思えば被りものも、毛色と似たライオンのたてがみだけは受け入れていたな。まるで自分の一部だと言わんばかりに、毛繕いまでしていた。……猫は懐を懸命に掘り返し、掘り返せなかった懐に頭をねじこんでいる。スウェットに潜り込めないことを申し訳なく思い、せめてと大きくはみ出してしまった体を抱えるように腕で覆った。意図せずふわふわとふわふわが触れている状況になったのだ。
ふわふわしていること以外、何もわからず眠りに落ちた。

アンシャープマスク

私はいつも、他人の息遣いが聞こえないくらいの音量で音楽を聴く。イヤホンの音量が最小なのはもちろんのこと、テレビの音量も10以下でないと耳に障る。母や妹には聞こえづらくて気持ちが悪いと不評だけれど、私にとってはそれ以上大きいと体調に響いてしまうのだ。
閑話休題
音量を最小にして街を歩くと、音楽と環境音がだんだんまざっていく。ゆれるローファイはやがて他人の声やエンジン音、電車の音たちを巻き込んで、ひとつのBGMとなる。むきだしのからだを突き刺していた様々な音が遠くなることで、自分の輪郭が浮き彫りになるのだ。そうやって、街から自分を切り離す。自分の世界と外の世界の境界をはっきりさせる。すべてを情報として受け止めるには繊細な器をまもる手段である。
まろやかになったBGMを聞き流し、やっと深く息を吸う。




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