RADWIMPS知りません
私は、ポップカルチャーが好きだ。
SNSのプロフィールで「好き」だと言い張れるぐらいには好きだ。
好きでなければnoteは書かないし、「今回の一曲」もやらない。
しかし、会社での私のイメージはそういうのに明るくない人らしかった。
休日の過ごし方を訊かれ、図書館に行く、芝居を観ると答えたのがまずかったのだろう。
回答に窮して直近の土日に実際にしたことを述べただけだったのだが、毎週末通っていると誤解されたのかもしれない。
兎角、どうやらそこから私は「スカした奴」ということになったようで、その後話に尾ひれがついて、私の趣味は純文学を読むこととクラシックの鑑賞ということになっていた。
噂話は怖いと思った。
ただ、これだけならよくある話である。
自分の抱くイメージと、ほかの人が持つイメージは必ずしも一致しないというよくある話。
けれどさすがに、『君の名は。』の話になりRADWIMPSの名前を出したところ「RADWIMPS知ってんの?」とたいそう驚かれたときは、私のほうがたいそう驚いてしまった。
これはまずいな、と思った。
私はポップカルチャーが好きだ。だから、都度そんなに驚かれていてはポップカルチャーの話がままならないので嫌だった。
だが、理由はそれだけではなかった。
小学生の頃、周りはみんな観ていた「クレヨンしんちゃん」を家庭の教育方針で禁止されていた。
それだけが原因ではないだろうが、こういったことの積み重ねで、私はお堅くてお高くとまった「嫌な奴」だと疎まれるようになった。
「お前の使う単語は難しくて分からんわー」
同期からそんなことを言われたばかりだった私は、そのときのことを思い出していた。
人間関係の危機だ――私は強くそう感じた。
以来、私はポップカルチャーに明るい陽気な奴だと知ってもらうべく振る舞うようになった。
千鳥のノブのツッコミの話をした。
名探偵コナンの話をした。
米津玄師の話をした。
親しみやすいやつだとアピールしようと努めた。
「大残業じゃー」
「ゼロの執行人さー」
「Lemonいいですよねー」
かくして私は、そういうのに詳しいキャラになりえたと思っていた。
これでもう、RADWIMPS知ってんの? とか、ボカロ知ってんの? とか、言われないだろうと思っていた。
先日のことだ。
先輩とランチに行ったとき、店内でRADWIMPSの「愛にできることはまだあるかい」が流れた。
「先輩、『天気の子』観ました?」と私は訊ねた。
すると先輩は驚きの表情を浮かべたのち、こう訊き返してきた。
「え、お前『天気の子』の話とかすんの?」
「しますよ」
「え、意外」
「そうですか?」
「うん、知らなそうだもん」
「え?」
「RADWIMPSとか」
私の努力は、ほとんど実っていなかったらしい。
なるほど。そうですか。そこまで言うのならもういいいです。
私、RADWIMPS知りません。
【今回の一曲】
RADWIMPS/いいんですか?(2007年)
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