疲れないはずなのに疲れている

最近、音楽を聴く時間が減った。

転職をして通勤時間が伸びた。出社の回数も増えた。したがって、電車に乗っている時間が増えた。音楽を聴ける時間は増えたはずなのだ。

しかし、音楽を聞く時間は減った。


その事実を思い浮かべるとき、私は少し不安になる。

もしかして、私のカルチャーへの欲望は反動的なものに過ぎないものだったのではないか、と。

つまらない仕事――転職してからも、特段楽しくはないが――に時間を費やし、唖然とするようなことをする同僚たちに眉を顰めながら過ごす。そんな日々が嫌で、そこからの逃避先としてカルチャーを選んでいただけではないのか、と。

つまり、私はそもそも、そういったものを特に好きではないのではないか、と。

あるいは、そんな自分を作ることで、なにかから必死に目を背けていただけはのではないか、と。


前述の通り、電車に乗っている時間が増えた。

都内の電車は乗客が多いから読書はままならない。

少しでも時間を有意義に活用したくば、イヤフォンでなにかを聴くほかない。ニュース系のポッドキャストとか、それこそ音楽とか。


しかし、私は最近その時間を、ただ何もせず過ごしている。

「有効に活用したくば」というその前提を、放棄してしまっているのだ。

疲れたな。仕事は変わっても嫌なものは嫌だな。

そんなことを考えながら、つり革を握り、目をつむって過ごしている。

そうやって、ただ「だらん」と、間延びした時間を送っている。


そう。私は疲れている。

しかし、「なにに?」と問われると、その次第は私にも掴めない。

なんだか、としか答えられない。


たしかに仕事は積み重なっている。

しかし、常識外れなほど残業をしているわけではない。

業務量が多いわけでも、内容自体がストレスフルなわけでもない。

一日の終わりに、もうどうしようもなく草臥れ、這うようにして帰るなんてこともない。

だが、朝起きると、電車に乗ると、もう無為に過ごすほかないというほど、気分が疲れている。


まだ知らない音楽に出会いたければ、いろいろな音楽を聴くほかない。そしてそのためには時間が要る。

中には「当たり」もあれば「ハズレ」もある。だからさまざまな音源に触れなければならない。

しかしこのような状況だから、今の私はそれができていない。

ふと思い出したように、SpotifyのEarlyとかEdgeやDaily Mix、レコメンドなどから知らない曲を漁ってみても、なんだか合わなくてげんなりしてしまう。

4分の曲があるとしたら、だいたい3分くらいで「もういいかな」となる。

だがそれも、その曲と相性が悪かったのか、私のコンディションが悪かったのか、その判別にも自信が持てない。


明確な疲れの原因がないのに、気分だけ疲れているから始末が悪い。

職さえ変われば、と転職活動のときは思っていたはずなのに。実際に、仰天させられるような出来事は減ったはずなのに。

また月曜日から、流れる風景を見つめる出勤が始まるのかと思うと――しかし困ったことに、これが在宅勤務なら気分が爽快か、というとそういうわけでも決してない――、どうにもこうにも気が重い。


【今回の付録】

最近、Spotifyで聴いて耳に残っている曲。こういう曲も、これまでなら去年の早いうちに聴いていたような気がする。特に、曲名、アーティスト名、ジャケットをよくレコメンドで見ていたのだから……。


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