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犬かキャットかに触れて人の心を取り戻そう

先輩の家に何人かで遊びに行った。

インターフォンを押すと、先輩は、飼い始めたばかりだという小型犬を抱きかかえたまま出迎えてくれた。

「キャン!」と犬は、嬉しそうに一鳴きした。


犬はとても人懐っこくて、私たちに飛びかからんかの勢いで「遊んで! 遊んで!」とせがんできた。

その姿はとても可愛らしかった。

可愛いなあ、可愛いなあ、とその犬を撫でながら、私は不意に、同期とのいつぞやの会話を思い出していた。


ある日、私は定時に仕事を上がり、エレベーターホールへと向かっていた。

同じく定時に仕事を終えたのであろう森下さんもそこへやって来た。

「今日早いね」と話しかけると、彼女は「猫カフェ行くんで」と言った。

曰く彼女は、今から同期の女性社員3人で猫カフェに行くらしかった。

「へえ」と私が言い、そのまま帰りがてら私たちは少しお喋りをした。


その会話のなかで、彼女は私に「猫カフェに行って欲しい」と言った。

「一緒に行こう」ならば、まだ分かる。

それは明確にお誘いだから。

「おすすめ」も、まだ分かる。

自分が行って「良かった」と思ったから、「おすすめ」しているのだ。

しかし、彼女の「行って欲しい」からは、どこか「おすすめ」とは違ったような、どこか切実なニュアンスが感じられた。


「行って欲しいって?」と私は訊ねてみた。

彼女が言うには、そうすることで私に人間味を取り戻してほしい、とのことだった。

動物とのふれあいのなかで、人の心を取り戻してほしい――。

めちゃくちゃひどい言われようだった。

乗っていた電車が私の乗換駅についたので、彼女とはそこで分かれた。


また別の日のことだ。

その日、私は芝居を見ることになっていた。

後輩がやっているという、童話をモティーフとした芝居だった。

それなりに楽しんだ帰り道、後輩2人と一緒になった。

曰く彼女らは、これから夜行バスで金沢旅行に向かうとのことだった。


私は彼女らに、先刻森下さんから言われたばかりのことについてどう思うか訊ねてみた。

「なんか、猫カフェ行って人の心を取り戻して欲しい、みたいなニュアンスのこと言われたんだけどさ」

ちょっとした沈黙があった。

なんだか、「分からんでもない」と告げるための間にも思えた。

後輩のうち1人が、こう切り出した。

「先輩、私このあいだ行ってきたんですけど、うさぎがめっちゃいる島って知ってます?」


その島のことなら、私も聞き覚えがあった。

太平洋戦争中に軍事施設が置かれた、瀬戸内海にあるうさぎ島。

「あそこで、ウサギに触れ合ったらいいと思います!」

私は、ちょっと意地悪な気持ちになって「人の心を取り戻せるから?」と訊ねてみた。

「はい!」後輩は、元気よく答えた。


先輩の犬を撫でながら、そんなに自分は心が冷めて見えるんだろうか、と考えていた。

犬が「キャン!」と元気よく吠えた。

隣に、一緒に遊びに来ていた同僚がやってきて、「なんかペット飼ったらいいじゃん」と言った。

「え? なんで? 唐突に」

「え、だって、癒やされるし。なんか、心荒んでそうじゃん」


そんなに自分は心が冷めて見えるんだろうか。

犬が再び「キャン!」と吠えた。

なんだか、犬にまで「そうだよ!」と同意されたような気がした。


【今回の一曲】

中村一義/犬と猫(1997年)


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