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いきなり巨根説

新入社員研修が始まって少し経った頃、新入社員と人事の参加する飲み会が催された。

それは入社後初めて開かれる飲み会で、出席率はかなりのものだった。

参加者もそれなりの数だったから店を貸し切っての開催となった。


幹事を務めた男が、乾杯の音頭を取った。

「ここにいるみなさんで、うちを業界ナンバーワンにしましょう!」

などとそいつは言った。

人事の佐久間さんは、それを聞いて愉快そうに笑っていた。


飲み会が始まった。

最初のほうは平和な雰囲気だった。

みなまだあまり深くは知らない目の前の人と、ぽつりぽつりと会話を交わしていた。

しかし、半分ほどの人が一杯目のグラスを空けた頃だろうか。

主に営業職の社員が「元気」になり始めた。


たかが一杯のビールだ。

ひどく酔ったわけでもなかったろう。

しかし、初の大規模な飲み会であり、また参加者のほとんどが同期であるという環境がそうさせたのだろう。

飲み会は次第に、学生の飲み会みたいになった。

彼らはアルコールを飲み下し、やがて彼らの顔には本当の「酩酊」の様子が浮かび上がってきた。


ウェーイが飛び交う雰囲気に辟易して端のほうの席にいくと、そこでは先程と同様に上機嫌そうな顔の佐久間さんがいた。

「どうなんすか、あの飲み方。私たちはもう社会人なんですよ」

先客だった同期の米川が、佐久間さんにそう熱弁していた。

そこから話題は研修中の小テストに移った。

研修では、理解度チェックのため小テストが数日に一度行われていた。


「あれも、みんなもうちょっとできるはずですよ。真面目にやっていないんですよ。まだ学生気分なんです」と、米川は熱弁を続けた。

そして彼は、「あの飲み方」をしている「連中」と対照的な人物として私を引き合いに出した。

真面目に研修を受けていて、落ち着いていて、飲み会で荒れない人――。

「いやあ、でもさ」と佐久間さんが口を開いた。

みんな発展途上だとか、これからあいつらも成長していくよ、とかいう話をするのかと私は勝手に期待していた。

しかし彼は、私を指差しながらこんなことを言ったのだった。

「こういう感じのやつがさ、意外と巨根だったりするんだよ」


巨根。

そんな言葉をいきなり耳にして、私はひどく困惑してしまった。

言葉の定義は簡単だ。ペニスが大きいこと。それに尽きる。

しかし、なぜ佐久間さんがそれをいきなり言い出したのかは、まったく分からなかった。


もし、佐久間さんが私のペニスを見ていて、「こいつ、意外と巨根なんだよ」と言ったのであれば、それは私のペニスについて感想である。

何故このタイミングで言ったのか謎は残るが、根拠は分かる。

だが私には、彼にペニスを見られる機会はなかった。

ここで肝なのは「こういう感じのやつが」の部分だ。

見られていないこと、「感じのやつ」というフレーズからは、それが「こういう感じ」すなわち私みたいな人への「偏見」であることが推測できる。

しかし、そんな「偏見」をジョークとして口にした理由は、なんだったのだろうか。


このあいだ読んだ、長嶋有の『愛のようだ』という小説にこんなやりとりのシーンがあった。

「なあ、おまえ『神山巨根説』って、知ってるか」とささやいた。
「知らないよ、なんだそれ」サディスト説でとどまらなかったのか。皆、どれだけ「物腰の丁寧な人間」に対して距離を感じているんだか。

この場面で、巨根はサディストの強化版と位置づけられている。

もちろん、加虐性向や加虐に興奮する性的嗜好とペニスのサイズに相関関係はない。

ここでは「サディスト説」も「巨根説」も、「物腰の丁寧な人間」である「神山」と「距離を感じている」からこその、彼の本性についての偏見なのだろう。

その内面に眠る獰猛さとかなんとか。だから信用できないとかなんとか。


これは、ある一小説内の話でしかない。

「神山巨根説」は「サディスト説」と対応させてこそ上記の意味が明確になるのであって、佐久間さんによる私みたいな感じの人の「巨根説」と、まったく重なり合う保証はどこにもない。

しかし、米川の言う私についての人物評は、「物腰の丁寧な人間」とそれなりに似通っている。それを踏まえての発言であるならば、私は本当に「距離を感じ」られていたのかもしれない。

その結果が、架空の大きなペニスである。

「実際どうなの?」と米川に訊かれたとき、「マジビビるよ」とか答えるノリとテンションが私にあれば、彼らと「距離」が縮まったのかもしれない。飲みニケーションなのだから、それで十分に「いけた」はずだ。

だが実際には、どう答えたもんか「真面目に」悩んでしまい、「いやあ、どうだろうね」と、なんとも歯切れの悪いことを言ってしまった。


しばらくして、佐久間さんは転職した。

もうきっと会うことはなくて、つまりあの発言の理由や真意を訊くことはできない。当人も、そんなことを言ったなどもう憶えていないだろう。

私だけが、あのちょっとした言葉を今でも憶えている。

私だけが、あのちょっとした言葉について今だに考えている。

そういうところも、「距離を感じ」られる原因こひとつなのかもしれないが、残念ながらそういう性分なのだ。


【今回の一曲】

グループ魂/ペニスJAPAN(2005年)


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