お前も「可愛い」って思うんだな
新入社員研修の帰りに同期の何人かで飲みに行った。
会社の最寄り駅を通る路線にあるちょっとした大きな駅の近くにあった、海鮮系の居酒屋だった。
店に入るなり、私たちは入口付近の席を案内された。
めいめいが座って最初の飲み物を決めながら談笑していると、女性の店員がお通しを持ってきた。
小鉢を置き、「オーダー決まりましたらお呼びください」と言い残して去っていった。
お通しの入った小鉢を各人に配っていると、隣に座っていた藤沼に「なあ」と話しかけられた。
「なに?」と私が応じると、彼は「いまの店員さん、めっちゃ可愛かったよな?」と訊ねてきた。
私は店員の顔など見ていなかった。
軽く会釈だけして、あとは手元のメニューを見ていた。
しかし、私ももう一端の会社員だった。
そういう場面で求められている回答も、なんとなく分かっていた。
だから私は「うん。可愛かった」と答えた。
すると藤沼はたいそう驚いた顔で、「お前も人のことを可愛いと思うんだな」と言った。
正直このとき「こいつめちゃくちゃ失礼だな」と思った。
まるで血が通ってないみたいじゃないか、舐めたこと言ってんじゃねえぞ、そう思っているならそもそもそんなこと訊くなよ――とか思った。
しかし、あまり強く反論するのも気が引けて「まあ、あるよ」と、歯切れの悪い反応をするので精一杯だった。
私にも人のことを可愛いと思うことはある。
ただあの場面ではそう思わなかった。顔を見ていなかったからだ。
ではあのとき、彼女の顔を見ていたら、私はどう思ったのだろうか。
果たして、私は彼女のことを可愛いと思ったのだろうか。
その疑問が、私に強く反論するのを避けさせたのだ。
たとえば飲み会などで「どんな人がタイプか」という話になることがある
つまり「どんな人」を可愛い/かっこいいと思うのか、という話だ。
そんなものは座興なのだから適当に答えていればいい。
しかし、私はいつも答えに窮してしまう。
「楽しく会話ができる人」とか、まったく面白くないことを答えてしまう。
それは、「可愛い人」という具体的なイメージを私が欠いているからなのだと思う。
あるいは、実際に「可愛い」と思った人の特徴を並べてみればいいのかもしれない。
しかし、それはあくまで「その人」の特徴でしかない。
だから、それを並べたところで、「その人」という具体性を欠いた途端に、「可愛い」もまた損なわれるんじゃないかと考えてしまう。
「可愛い」は、そんなチェック表みたいなものなんだろうか。
そんな、やはりまったく面白くないことを言いそうになる。
私にも、人のことを可愛いと思うことはある。
しかしあのとき、私はなんだか歯切れの悪いことしか言い返せなかった。
「どう可愛い?」「どんな人を可愛いと思う?」
そんな話になるのが怖かったのだ。
それに、顔を見ていなかったことを正直に告白したとして、改めて顔の特徴を言われたとしても、その並べられた特徴のみから「絶対可愛いじゃん」などと心から言える気もしなかった。
その結果として出力された言葉が、まるで血が通ってない人間であるかのような印象を抱かせる原因になっているのだとしたら、こんなに救えない話はない。
むしろ過剰なまでに考えすぎていることが、反対に「人間味」から私をどんどん遠ざけているのだとしたら――。
「お前も人のことを可愛いと思うんだな」
数年前のこの一言が、今も妙に胸に突っかかっている。
私にも人のことを可愛いと思うことはある。そう言っても、冗談みたいに思われるらしいけれど――。
【今回の一曲】
ヤバいTシャツ屋さん/かわE(2018年)
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