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皿洗いをしたことがなかった

アニメやドラマを見ていると、たびたび他の家族より先に食事を終えた登場人物――特に男性――が、食器をシンクまで持っていく描写がある。

またときに、そこから自分の皿だけ、あるいは家族分の食器を洗うような描写がなされることもある。

私は、それを見るたびに驚き、そして「ああ、でも多くの家庭ではこうなのかもなあ」とか思う。

というのも、私は実家で皿洗いを一度としてやったことがないからだった。

それどころか、食器をシンクに持っていったことすらなかった。


「甘やかされて育った」

このエピソードからそう思う人は少なからずいるだろうし、私自身、そうなのだろうと思うシーンはいくつかある。

しかし、この件に関しては、それは当てはまらないと反論したい。


「男子、厨房に入るべからず」という言葉がある。

ざっくり言うと、男性が厨房に立ち炊事をすることは「みっともない」から止めなさいと諌め、かつそのような価値観を肯定する言葉である。

だが、私自身は男性だが、決してそれのみが「免除」の理由だったとは思えないのだ。


私の家庭は、比較的保守的な家庭であったと思う。

父は大企業の社員でこそなかったが主たる稼ぎ手であり、母は専業主婦だった。私は、そんな家庭の長男かつ一人っ子として育った。

だから、私の「皿洗い」つまり家事の件に、私自身の性別が無関係とは言えないだろうと思う。

母はかつて、私がなにかを食べて思わず「うまっ」と呟いたとき、「あなたが女の子だったら、そんな「うまい」なんて粗暴な言葉を使ったら、ほっぺたを引っ張って『おいしい』と言うよう矯正した」と言った。

もしも私が女性に生まれていたらば、料理、洗濯、掃除――そういった家事の基礎をみっちり叩き込まれていたことだろう。


しかし、我が家も決して「男子、厨房に入るべからず」ではなかった。

私自身、家庭科の授業の後などに、料理の「実演」をしたことはあるし、味見や細かな作業などの炊事を手伝ったことはあった。

だが、どういうわけか皿洗いは経験がなかったのだ。

それどころか、私がそれをやろうとすると止められるのだった。

「いや、やらなくていいから」


ある日も同様に皿洗いを手伝おうとして、いつもと同じように断られた。

その際に、「どうして?」と訊ねてみた。

私は当時高校生だったが、大学進学を機に一人暮らしをするつもりだったし、そもそも男性とて家事の一つもできないのは今の時代ナンセンス――実際には今もロクにできないのだが――だと思っていたからだ。

すると母はあっさりと「一人でやったほうが早いから」と答えた。

そこには、イデオロギーもなにもなかった。

単に――まあ前述の通り、私が女性なら手間をかけてでも教えたのかもしれないが――邪魔だから。

そこにあったのは、なんとも明快な理由であった。


その後も話を聞いたが、つまるところ、こういうことだった。

皿洗いなんて自分ひとりでやったほうが早い。

食器のシンクへの置き方にもマイルールがあって、別の人がやるとそのルールが崩れるから、効率が下がるし不愉快。

よって、教育コストをかけるより自分がやったほうが楽。

典型的な、部下が育たない先輩/上司の言い草だった。


思えば、私が料理を「実演」した際も、反応は芳しくなかった。

もちろん、慣れぬ人の料理がうまくいかないのは当たり前だ。

しかし、父も母も苦い顔をしながら、味について品評するのだった。

「味が薄い」「濃い」「味付けにムラがある」「焦げている」「もっとシャキッと感がないと」

それを言い訳にするのも情けないが、私は家で料理をしてみよう、という意志をそこでなくしてしまった。


とあるアイドル番組内で、出演アイドルの母親から寄せられた、料理を作ったことを褒めたらそればかり作るようになったという幼少期のエピソードが紹介されていた。

これはつまり「動機づけ」の問題として表現することができる。

ポジティブなフィードバックを与えることで「やる気」が上がり、自律的に行動する人材となる――ビジネス書チックに書けばこうなるだろうか。

今さら教育方針に文句をつけたいわけではないが、私のエピソードとはあまりにも真逆である。

くだんのアイドルのエピソードと比して、「邪魔だから」は、あまりにも――と、この歳になって改めて、そう思ってしまった。


私の家事ベタややる気の薄さは、一人暮らしをした上でそうなのだから、過去のエピソードがどうだろうが「自己責任」である。

しかし、上記を踏まえ、私は後輩やその仕事について「自分でやったほうが早い」とか「むしろ邪魔だなあ」とか態度に出さないようにしたいと思っている。

けれども、前述の言葉や態度を浴びた者としては、自分が実際にそうできているのか、正直のところイマイチ自信がない。

虐待を受けて育った子が親になるとき、自分も虐待しない自信がない、というような類型の一つと思ってもらって構わない。

私は、私が思う、マシな先輩になれているのだろうか。

一人暮らし故に誰もやってくれない皿洗いをする際には、ちょっぴりそんなことを思う。

わざわざ当人に聞く無粋なことはしたくないが、そのようで居られていることを願うばかりだ。


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